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いつか書く手紙

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2017年 06月 07日

ハリネズミのハリちゃんのおとむらいとお墓(昨日のこと)

静岡に日帰りでいってきて
夫の実家の庭にハリちゃんのお墓をつくってきた。
子どもと一緒に二人でいった。

かんたんなことに思っていたけれども
やっぱり子どもも元気だし遊びたいので
結構移動は大変だった。

新幹線でいくほどの距離のあるところに
ハリちゃんを運んで帰ってくれば
離れた分だけさっぱりとするというか
自分の気持ちに区切りがつくように思ったけれども
まだまだまったくもって悲しい。

とにかく家にハリちゃんのBODYがあると(いると)
いつまでもそれに向き合ってしまうと思ったので
そしてそれはよくないことなので(娘にとって)
一刻も早くおとむらいをしてあげたいと考えていた。

昨日、動物病院でハリちゃんを引き取ったときに
ミヤマ先生は都内の霊園のパンフレットを2通下さった。

けれどもそのときにパンフレットの中身も見ないで
「明日、新幹線で静岡にいって
 夫の実家のお庭に埋めてこようと思います」と
話したので
つまり
死んだと電話を受けた8:45くらいから
遺体を引き取った12:00くらいのあいだに
もうそのことは決まっていたのだけど
どうやっていつ決めたのかよくわからない。

夫が出かける前に
わたしがそう話したのかもしれないし
夫がそう話したのかもしれないけれども
ほぼ同時にそうするのがいいと思ったわけだった。

はじめていく霊園よりも
よく知った、しょっちゅういくところがいいし
明日すぐいってこられるところがいいと思った。

動物病院から帰宅すると
外出先の夫から電話がきて
「霊園のパンフレットももらった」と話したら
「いくらって書いてある?」といわれて
ああ、そうか、現実的だな、と思って
「たぶん5,000円くらいじゃないかな?」といって
中身を見て説明しようとしたら
焼いてもらうのに小さな生き物でも
30,000円で、さらに埋葬にお金がかかるので
けっこうそれくらいするんだなぁと思った。

さらに読むと、たいがいの場合は他のおうちの
動物さんと一緒になるので
それまで日を待たねばならないらしい。
それはとてもいやだ。
ずっとハリちゃんのBODYが家にあるなんて
つらくて耐えられない。

そんなわけで今日、静岡にいってきた。
子どもの咳が気になったので小児科に寄ってからいくと
結構遅くなってしまった。

新幹線でも子どもは咳をしていた。
背中をさすったりお胸をトントンしてやるけれども咳こんでいる。

今日はよく晴れていてカラッとして
ハリちゃん日和だ。昨日も。

ハリちゃんは北アフリカ原産だから
それなりにあったかくて乾燥しているのがいいのだ。

昨日は家の気温計では摂氏27度、湿度23%だった。
いい日に死んだね、とも思ったし
こんなにいい日なのに死んじゃっててごめんね、とも思う。

今日は死ぬのにうってつけの日、という小説があったと思う。
あとから調べたら
今日は死ぬのにもってこいの日 と
バナナフィッシュにうってつけの日 が自分の中で混ざっていた。

そういえば動物病院のミヤマ先生は
「ハリヒコくんは最後は意識が薄れていくような感じで
 亡くなったと思います。苦しくはなかったと思います。
 そんなふうにちんまりと横たわっていました」
といってくれていた。

おしりからたくさん血が出てしまって
失血死のような感じだったのだろう。
かわいそうにと思う。

でも「だんだんと意識が薄れていく」と聞いたときに
「マンガのバナナフィッシュみたいな死に方だったのかな」
と思った。

無敵の主人公が、最後はあっけないことでナイフでさされて
衆人環視の中で意識が遠のいていって死ぬ、
そういう結末だったと思う。
それはふしぎと幸福感のある終わり方だった。

静岡のお庭では
穴を掘って
ハリちゃんの使っていた床材(白樺のおがくず)をしいて
その上にハリちゃんを乗せた。

ハリちゃんは慣れない場所にいくのが嫌なのだ。
知らない場所にいくときは(動物病院くらいしか外出はなかったが)
ハリちゃん自身のにおいのついた
おがくずやタオルを持っていくのが習慣だった。

なのでお墓の穴の中にも
最後に使っていた床材を敷き詰めた。
においがいつもと違うのは
具合が悪かったせいだろう。

埋葬する前に
ハリちゃんを芝生の上に置いて
その上にたくさんお花を乗せて
お花だらけにした。

ハリちゃんは一回りも二回りも小さくなっていて
あじさいの花の房とそれほど大きさが
変わらないように感じた。
花だらけのハリちゃんはとてもかわいかった。
そうでなくてもかわいいけど。

生きているときはふしゅふしゅ威嚇するから
あまりさわれなかったけれど
何度なでても動かない。
鼻筋を何回もなでて
ありがとうといった。

===ここまで、昨日書いた部分。ここからは今日書いた部分

夫は「ごめんというとハリちゃんは嫌がるよ」と
わたしにいっていたが
わたしはどうしても
ごめんね、ごめんね、といってしまう。

自分のせいで苦しんで死んだのだ。
脱水しなかったとしても
最後は苦しかったかもしれないが。

・わたしに五月下旬、もう少し余裕があったら
・余裕がなくなるくらい仕事を請けてしまうバカじゃなかったら
・余裕がなくてもささみを食べない時点ですぐ緊急食をつくるまめさがあったら
・危機的状況だと察知して病院に連れていく嗅覚があったら
・忙しくてもすぐ気づいて行動する人間的度量があったら
・娘が生まれてからハリちゃんをしっかり可愛がれていないという
 引け目があって、きちんと向き合えていなかったけれど
 わたしがそんなふうなムダな完璧主義でなかったら
 
などなど、わたしがどれかひとつでもクリアしていれば
ハリちゃんはきっと今頃生きていたのだ。
やっぱり自分の性格と行動のせいだ。

(でも、夏を越せたかどうかはわからないと思う。
 いま考えると、実はハリちゃんは弱っていた気がする。

 というのは、この2週間ほどで
 うんちのにおいが変わっていて、それは不思議だったのだ。
 そういうことはこれまであまりなかったので。
 動物病院の先生のいうように
 やはり腸の病気だったのではないかと思う。
 
 また、この2週間、暑かったり寒かったりといっても
 ケージの気温は23度後半〜27度前半のあいだをいったりきたりで
 去年までのハリちゃんであれば快適な範囲だったはずなのだ。
 それがどうもこたえているように見えたのも異変だった。

 そもそも1月、2月に病院にいったときに
 レントゲンで見ておなかにガスがたまっていて、
 今回もそうだったというのは
 継続して胃腸になにか問題があったのかもしれない。
 (薬を飲み続けたほうがよかったのかもしれないのに
  すっかり元気に見えたので通院をやめてしまったのはわたしだ。)

 5月にケージのそうじをしたときには抜けたハリが
 何本もあった。これも幼少期のハリの抜け替わり以来のことで
 弱っているサインだったのかもしれない

 でも、こんなふうにハリちゃんが病気だったと
 フラットにそう思える証左をいくら挙げたところで
 わたしがやっぱり苦しませて死なせてしまったんだという
 自分にとっての事実は変わらない。

 ああ、あのとき、という
 気がついてしかるべきだった
 ポイントが先週だけで3つくらいある。

 ・お水切れの時点ですぐに水をやるべきだった
  (娘の夜泣きで呼ばれてそのまま寝落ちして5時間ほど遅れた…)

 ・お水切れのあとに水を出したら、ハリちゃんは
  あせって水をこぼした。こぼしたものを一生懸命
  飲みだした。噛まれてもいいから無理矢理止めて
  ケージ内を拭けばよかった。一緒に砂や床材を食べてしまって
  それでおなかをこわしたのかもしれない

 ・ささみを食べなかった時点で緊急事態だと認識して
  病院に連れていくべきだった。木曜まで仕事が入っていたけれど
  木曜に早く帰ってきて連れていくことはできた
  (逆にいうと、やっぱり木曜午後までは難しかったと思う。
   また、娘を連れて夕方にいくのは寝かしつけなどが
   ずれこむので、ためらってしまっただろうとは思う)

 と、そんなふうにいろいろとぐるぐる思って

 でも、どの場面を思い出してもわたしは疲れていたのだ。
 思えばずっと疲れている気がする。それもまた嫌なことだ。
 自分の度量とか体力の問題として。

 一日に何度も、一人になるとうっと涙が出てくる。
 実際は一人になる時間というのはほとんどないので
 子どもにテレビを見せてごはんをつくっているときとか
 ベビーカーを押しているとき
 絵本を読んでいるとき
 歌を歌って聞かせているときなど
 急に涙目、涙声になってしまう。)

埋葬の話に戻る。
花をたくさん、そして茹でささみを少々、
ハリちゃんと一緒に土の中に置いて
ハリちゃんの使っていたひんやり大理石(涼をとるための道具)と
土管(隠れ家、つめとぎ)を
墓標として、ともに埋めた。

日当りの具合、まわりの花や木、大きさ、見た目、
とてもよいお墓ができて、
満足した。

そのあと娘とお義母さんと散歩をしたら
とてもさっぱりした気がした。
元気が出た気がした。

でも新幹線に乗って東京へ戻る途中
娘に歌を歌って寝かしつけていたら
急にまた泣けてきた。

娘は寝た。

遠くに巨大な雲を見た。
ラピュタに出てくる「竜の巣」のような。
ゲリラ豪雨の雲でないかと思った。
そのとおり、新横浜をすぎて品川にかかるころ、
外はすごい雨のようだった。

雲は厚いが、西の空は輝いていた。
お日様がまぶしかった。
西方浄土へ向かって
ハリちゃん、ハリちゃん、と思った。

とてもよく晴れた乾いた日に亡くなって
その翌日も同じく晴れた乾いた日で、おとむらいをしたのだ。
日本ではめずらしいほどの気候が二日もつづいた。

そしてハリちゃんは天国へ旅だって
激しい雨が降ってからだは土へと還るのだ。

天国で楽しく暮らしてね
もう苦しいことはないんだよ
彼女を見つけてね(一度も子どもを残させてあげられなくてごめんね)
などなど思ったり
浄土へおいきなさいと思ったり
自分の宗教観はめちゃめちゃだなと思った。

天国、とも思うし
西方浄土、とも思うし
蝶やヘリコプターを見ても
魂が飛んで上っていくのかな、と思う。

めちゃくちゃだが、そのようにわたしは
死や生を認識してるんだなと思った。
誤った設定でもよいから
なんらかのそういう認識がないと死を受け止められない。

そんなことを思った。

夜になってから友達(先輩)に長いメールを書いたら
泣きすぎて頭ががんがんした。
わたしは偏頭痛もちなので
涙が出ると、同時に頭痛がする。
なので日曜日から頭がずっと痛い。


# by writetoyou | 2017-06-07 00:32 | 動物
2017年 06月 04日

ハリネズミの死と合理化

ハリネズミは人なつこい動物ではないものの
なつく個体もいる。

うちのハリちゃんは
過敏で臆病であまりなつかなかった。

飼い方のせいかもしれないけれど
ペットショップで入荷日の朝に予約してあったけれども
みにいくともう2匹売れていて
唯一残っていたのが
ハリちゃんだったから
たぶん、もともとの性質が人になつかなかったんだと思う。
他の二匹は愛嬌があった。

さわってあまり嫌がらないハリネズミもいるし
うちのハリちゃんのようにものすごく怒るハリネズミもいる。
ある程度は慣れるけれども、もとの性質というのがある。

なのでわたしの前ではいろいろ活動していたけれども
他の人の前ではあまり出てこなかった。
(おびちゃんというわたしの友人には奇跡的になついていたが
 それはおびちゃんの性質によるものと思う)

そのハリちゃんが1週間前にはじめて夫の前で鳴いた。
ハリネズミは鳴かないことになっているが
実はたまに
スピスピとか
ピーという
高い細い寝息を連続してたてる。

ハリちゃんは子どものときからそうだったので
病気のせいでそうなったわけではない。

わたしはこれまでに何度も
ハリちゃんの鳴き声を聞いていたけれども
夫は先週の日曜が初めてだったようで
驚いて静かに静かに聞いていた。
(驚かすとすぐびびってやめてしまうので)

その前には
5月18日頃から先週にかけてだけれど
娘の前に何回も姿を見せてくれた。
ハリネズミは基本的に夜行性なのだけど
昼間もちょっと食べたり飲んだりするのに
起きることはある。

娘の前で長いこと頭カイカイなどをやってくれた。
ごはんを食べてみせたり。
何回も。

見せると娘のほうも初めて興味をもって
(それまではこわがっていた)
「もっとみせて」と身振りでいっていた。

まあそれはハリちゃんも具合が悪くて
起きてきていたのかもしれないけれども、わからない。
でもわたしにはそんな感じではなく
「いい季節になったなー」という感じで
動いているように見えた。

ちょうどゴールデンウィークがあけて
ようやく冷え込む日がなくなって
ケージの防寒用の覆いをはずしたあとだった。

だからこそ今週、
脱水させてしまって気づくのが遅くて
死なせてしまったのを
ああ馬鹿だ馬鹿だとも思うけれども
動物病院の先生の説明を聞いていると
内蔵に病気があったようなら
この夏は越えられなかったのではないかと思えて
(なんとなく前からそんなことは考えていた。
 この冬も非常に温度差に弱くなっていて
 夏場大丈夫だろうか、と心配していたので)
死ぬ直前に夫と娘に姿を見せてくれたようにも思う。

こう考えてしまうのは、
人間の合理化という機能のようにも思うけれども
やっぱりいい季節になって心をゆるして
姿を見せてくれたということのように感じている。

悲しいときにはこうやって書き散らすことがいちばんで
読み返すこともせずただ書いて
長い間放ってあったこのブログに昨日からただ書いている。

ありがとうハリちゃん。

夫は「寿命だったんだよ。病気があったんじゃないの。
冬から調子が悪そうだったし。病院もつれてってくれるし、
そんなに干渉しないで接してくれて住みやすかった、
ハリちゃんは幸せだったと思ってるよ」と朝いってくれて
出かけていった。なぐさめてくれているなと思ったけれども
結果的には動物病院の先生の話と一致していた。

脱水といってもたった一度の数時間の水切れだけでそうなるとは
あまり考えにくくて、やっぱり病気だったのかなとは思う。

今週のケージの温度は高いときでも27度で、ハリちゃんにとっては
適温(飼い方の本とは少し違うけど、経験則的には25〜29度が
うちのハリちゃんはいちばん元気で車輪をたくさん回す)だったはずで

やっぱり一度の水切れでああなるのは
おなかの具合がもともとよくなかったのかなとも思う。

だったらそれならそれで
「パフォーマンスというフェレットフードを
 前に少し食べて好きそうにしてたから
 今度買おうかな」と思って今週Amazonで探していたのを
もっと早く導入してあげたらよかったとか

金曜の夜にスポイトでポカリスエットでも飲ませればよかったとか
(脱水とも気づかず、ただただ様子の異変にこわくなってしまった。
 子どもが寝ているから
 ポカリをどう買ってくるのかという問題もあるけれど)

最後に入院させるときに
撫でたらストレスかと考えてさわらなかったけれど
もっと話しかけたらよかったとかとも思う。

そういうことも思うけれども一方で

夏の暑いときに一人で苦しくなって亡くなるよりは
気候のいい日で、先生にもみてもらって、
ちょうど今日も明日もわたしは
昼間の仕事がないので
引き取りや埋葬にいけてよかったとか
そういう合理化のようなことも思う。

そういうふうに千々に乱れています。

生き物が死ぬのは悲しいな。
ペットは人間の都合だけで家にいる存在だからよけいに悲しい。


# by writetoyou | 2017-06-04 16:24
2017年 06月 04日

ハリネズミが亡くなりました

金曜の夜にハリネズミが随分ぐったりしていることに気がついて
土曜の朝に駒込の動物病院に電話をして、夕方16時過ぎに連れていって
そのまま18時頃入院させて帰ってきて
21時前に先生から電話をもらって「出血したので朝になったら止血剤と鉄剤を入れます」といわれ
日曜の朝8時40分頃に電話がふたたびきて「なくなったのでいつ迎えにこられますか」という話で
お昼前にいって引き取ってきました。

もしかして夜中に死んじゃうんじゃないかとわたしは思っていて
朝、携帯電話が鳴るかもしれないと思って
ズボンのポケットに入れておいたら鳴ったので
そのときに「ああ…」と思って電話を取って
その場にいる夫にも同時に聞こえるようにと
スピーカーフォンにした。

でも夫には聞こえなかったようでわたしが
「ハリちゃん死んじゃったって」というと
本当にびっくりして「ええっ」といって
そのまま朝ご飯を食べずにシャワーを浴びにいって
用事があったので出かけていった。

夫はわたしを励ます意味もあったと思うけれども
昨日の朝も、病院に連れていくときにも
「きっとよくなるよ」といっていたし
帰りもそういっていた。

わたしも帰り道は持ち直す気がしていたけど
帰宅後に電話で出血したときいてどうだろうかと思った。

先生も昨日の時点では
持ち直すのではないかと思っていたらしく、
とにかく急に進んだ、ということを説明されていた。
(家で見ていたときも金曜と土曜の具合が全然違っていた)

先生は
脱水がひどかったのはあるけれども
急な出血がひどくておそらく
直腸かどこか消化器に腫瘍かなにかあったんじゃないか
もしくは昨日移動もあったのでストレスもあったか
おなかに力を入れて直腸が切れてしまったのか、と話をしていた。

かわいそうなことをしました、
悪いことをしました、とわたしがいうので
なぐさめてくれる意味もあったと思うけれども
たぶんまず何かしらの病気があったということを先生は話していた。

ハリネズミは飼育下で健康なら5-6年は生きるけれども
1歳をすぎると腫瘍のリスクは出てくるので
3歳まで生きたなら十分生きてくれたと思います。
最後までハリヒコちゃんがんばりました。とおっしゃっていた。

昨日もうちでも動物病院でもごはんは自力で食べようとしていたので
ハリちゃんはやる気はあったのだ。

ただ、腸がそんな具合だったのなら
長引いて安楽死させるかどうかという判断を飼い主にさせずに
すっと亡くなったのかとも、自分勝手に思う。

昨日の時点では、脱水症状さえ落ち着いたら
少しずつよくなるようにも思われた。
一回の点滴だけで急に生気が戻って目の輝きも取り戻していた。
なので先生もわたしも大丈夫なような気がしていたと思う。

予定では、
ハリちゃんを月曜に動物病院に迎えにいって
おうちに帰ってきたら、ささみのペーストをあげようと思って
昨夕、ささみを夫にお願いして買ってきてもらったので
冷蔵庫を開けるとささみがあってつらい。

冷凍庫を開けると、昨日の朝につくった
アイソカルプラスと粉砕フードの栄養食が
製氷皿にびっしり入って凍っていてつらい。

もうハリちゃんは食べないからすぐ捨てればいいんだけど
どうしていいかわからない。
冷凍のグリーンピースももう要らない。

ケージも回し車もお砂場もいらないのだ。
からっぽでつらい。
ハリネズミ用のつめきりもある。

ごめんねごめんねと思うしありがとうと思う。
自分は都会でペットを飼うつもりなんかなかったけれども
自分の人生の中でとてもつらい時期で、
三年前、一時の気の迷いのようにして
いっきにハリちゃんと道具一式を買ってしまった。

自分には面倒見られないのではないかと思って
買った後もお店に電話して「お金はもちろんいらないから
ハリネズミを返却させてもらえないか」と頼もうかと
二週間くらいずっと悩んでいた。
結局三年間ハリちゃんはうちで暮らして
最後は苦しい思いをして死んでしまった。

先生は「最後はちんまりと横たわって苦しそうなことはなかったですよ」と
いってくださっていた。
夜中の1時まで止血剤や増血剤を入れて下さったらしいけれど
出血に追いつかなかったらしい。

朝方見たら、なくなっていましたということだったから
きっと家で面倒みるよりも
間断なく目と手をかけてもらえたのだろうと思う。
入院させてよかったと思った。

わたし自身、ハリちゃんが血だらけになっても
どうにもしてあげらなかったと思うので、その意味でもよかった。
昨日は娘が痰がからんで寝ながら咳をしていたので背中をさすっていた。
物理的に手が空かなかったし、たぶんわたし自身
ハリちゃんがひどいことになったのを見たらとても混乱したと思う。

ハリちゃんの身体はきれいにしてもらってあって
きれいな箱に真っ白いタオルを入って
ハリちゃんによく似合う小さい小さいドライフラワーが添えられていた。

それをわたしが持っていったバッグに先生が入れてくれた。
とても軽かった。
ハリちゃんが軽くなってしまったのもあってごめんねと思ったし
いつもは動物病院にいくときは
プラケースだったり砂だったりカイロだったり
いろんなものと一緒に
運んでいたから重かったんだなと思った。

すごくからっとしてよく晴れた日で
天国にいくのによい日のように思った。

娘がお昼寝から起きたので終わりにします。



# by writetoyou | 2017-06-04 15:13
2017年 06月 04日

ハリネズミの元気

ハリネズミのハリヒコを動物病院に連れていった。
朝、病院の開いた時刻に電話したけれどもお話中でつながらない。
何度か電話してお願いをして16:45なら連れてきてもいいとのこと。
午前中がよかったけれどもしかたがない。

見にいってもストレスかと思うが何度かケージを見にいく。
昨日の夜より全然悪くなっている。
わたしはよく眠れなかったので気持ちが悪い。

「心配してもなんのためにもならないとわかっているけれども
 それで心がいっぱいになって元気がなくなる。
 食べたり寝たりができなくなる。そういう自分の性格が嫌である」
というと

「心配はわかるが何かできることをやるほかない。
 心配はしてもしょうがない」
と夫がいう。

ハリちゃんはぐったりしている。後ろ足の様子は昨日の夜とはまた違う。

動物病院で教えてもらったダックスープという栄養食をつくる。
前にもつくったことがあるがもう一度電話で分量を聞いた。

ミルサーでハリネズミフードを粉砕してお湯でといて
アイソカルプラスという
ネスレが出している
老人や障害者のための流動食(だと思っているがよく知らない)を混ぜる。

それをやっているときは少し気分がよくなった。
意味があることをしていると思って。
ハリちゃんに出すと頑張って歩いてきて
少しなめてハァーという感じで疲れて休んでいる。
ごめんねと思う。どう考えても自分のせいである。

自分のせいだと思う自分もいやだが実際そうだと思う。
先週今週と仕事が忙しかった。
普通の忙しいではなくて
四月から仕事を始めて
それも半ば受動的な感じで、
子どもは保育園にいっていないで働くというのも
かなり無茶なことだし、

物量のうまくコントロールのできない自分は
四社の仕事を一度に請けてしまい(それ以外にももともとの仕事がある)
やはりコントロールの苦手な自分は
納品物の期限がたまたま五月末の週に一度にきてしまって、

身体をとにかく壊すと生活が決壊するので
(子どもが生まれる前は多少寝込んでも大丈夫だったが)
すごく気をつけながら(喘息の薬は絶対に飲み忘れないとか
サプリメントをこまめに飲むとか、多めにご飯を食べるとか
牛乳をたくさん飲んで血糖値を保つとか)

子どもを夜八時過ぎに寝かせてから
一緒に寝て起きてから一時、二時まで仕事するとか
仮眠しすぎたら三時か四時くらいまでやって
また寝て朝七時に起きて夜子どもが寝るまでは
子どもと過ごす、というのを
十日間くらいやっていた。

そもそもコントロールできない性格が悪いし
ムリだとわかっていても仕事を始めたのも悪い。
(ムリならどれくらいムリかというのを夫に示す必要もあった)

子どももストレスがたまっている。
昼間は仕事してないといっても
あれやって、これやって…と思っていたり
Skypeで話が入ってきて対応していたりすると
これまでフルコンタクトで相手してきてもらった娘は
面白くない。読む絵本の数も減ってしまった。

その中で一回ハリちゃんのお水が切れたまま
5、6時間経っていた日があった。たぶん火曜日だと思う。
月曜日かな。火曜日のような気がする。

その日は確かにハリちゃんは元気だったが
そのあとからあまりお水を飲まなくなったように思う。
ささみをあげても食べなかったのもそのあと。
すぐに気がつけばよかったのに。

その話を動物病院でしたら「ああー」という感じで
「見てわかるんですがひどい脱水を起こしています」といわれた。
それ以外に病気があるかはわからないが
とにかく脱水だと。

金曜日の夜にことの重大さに気がついたけど
(「フードを食べてないな」とは思っていたが、ハリネズミは
 わりとすぐ食べなくなることがある)
もっと早く気がつくべきだった。
木曜日の仕事で一段落したんだった。
水曜日に気がついていたらいいと思ったけど
木曜日の仕事の準備をずーっとやっていたんだった。
せめて金曜に動物病院にいけたらよかった。
思い出したら金曜は娘が風邪引いて病院いったんだった。
金曜日に気がついたのもあんまりにも
ハリちゃんの状態がひどかったのもあるし
自分もそこでようやくまともにじっくりハリちゃんを見たということではないか。
度量がちいさいので他のことがあるとそうなってしまうのだ。
もう動物は飼わないほうがいい、と眠れなくて
昨日はそればかり思った。

自分の話ばかり書いている。
自分勝手だと思うが
その反省ばかりしている。
反省というのも自分勝手のあらわれだと最近思う。
ハリちゃんは元気だろうか。

ハリちゃんは病院に預けてきた。
強制給餌(口を開けて食べさせる)が必要じゃないかと思ったが
子どもがいてそれをタイミングよくできると思えなかった。

栄養食をつくったり動物病院にいく準備をしているだけでも
子どもはすごく荒れていた。
母親が自分以外のもののために
心を砕いているのがわかるのだ。
娘が別にいじわるなわけではない。
仕事をしていて前より構われないと感じているところで
今度はペットにお母さんの手と時間をとられたら
腹が立つだろう。

人間にはそれぞれ度量というのもがある。
能力がある。
自分の場合はそれが狭いし低いということがよくわかる。
それにしたがって生活するしかない。

そういうことを思っていたところで
ハリネズミがこういうことになって
自分のせいだと思ったが
病院につれていってますます自分のせいだとわかった。

いま夜の四時半で、三時半まで寝ていたので昨日よりもわたしは元気。
昨日は心配で三時半までもんもんとしていた。
そういうのは時間のムダだ。
でも人生はムダばかりだとも思う。

子どもが咳をしているので戻る。

ハリネズミの容態について病院から夜九時に電話があって
あまりよくなかった。
でもわざわざ電話をくれてちゃんと対応してくださっていることに安心もした。
点滴を一度したあとのハリちゃんはすこしもちなおしていた。
見るからにもちなおしていた。
病院では、お会計の前に、強制給餌でも食べたといっていた。
このあとも食べさせると電話でいっていた。


# by writetoyou | 2017-06-04 04:27 | 動物
2017年 06月 03日

ハリネズミのこと(病気)

Facebookに書く話ではないかもしれないと思ったので
Facebookに投稿しようとしてそれをやめてここに書きます。

飼っているハリネズミの調子が悪くてショックでいまここに書いています。

1月にも調子を崩し、そのときは動物病院に2度連れていき、整腸剤は効かず、しかし抗生物質を飲むと完全に元気になりました。最近また食が細ったものの、つい1週間ほど前までは車輪を回していたと思うのに、いつどうなったのだろう。

今週になって、というか数日前に、大好物のささみをあげても食べず(その2、3日前にあげたら食ていべた)、今日じっくり観察してみたら、下半身がよたよたしています。わたしが手をのばしてみてもフシュッと威嚇はするけれど、丸まらない。ハリネズミが丸まらないなんて、飼い始めてからはじめてです。ハリネズミは臆病な生き物で自分を守るためにすぐにいがぐりのように丸まるのです。

ハリネズミには突然よたよたしだす「ハリネズミふらつき症候群」というのがあり、不治の病です。もしかするとハリヒコはそれなのかもしれないし、なにか脚にバイキンが入ったのかもしれない。
明日また動物病院に連れていこうと思いますが、今度はダメなんじゃないかとも思って、考えていたら眠れなくなったのでここに書いています。

こんなに心がうつうつとなるのも、自分の子どもが生まれてからハリネズミの世話が二の次、三の次になっているのを自覚していて、そのやましさゆえではないかとも思うからよけいにつらい。
夜に(夜行性なので)ばーっとフードやお水を替えてきれいにしてそれでおしまい、みたいな。特に娘が0歳のときは全然時間がなくてほんとダッシュでお世話していた。

子どもが生まれる前は昼間も寝ているところをよく眺めたりしていたので、全然待遇が違います。

ただしハリネズミは構われるのがそ好きな動物ではないので(特にうちのハリヒコは全然人懐っこくはない)、わたしの関心が薄れたこと自体がストレスになっている気はしないけれども、自分としては罪悪感はあります。
さらにいうと罪悪感というのは思い上がりのようでもある。それもまたいやだ。

夫は何があっても夜眠れるたちだけれけれど、わたしはそうではない。いいことでも悪いことでもすぐに何かで頭も心も身体もいっぱいになって眠れなくなる自分も、これまたいやだ。そしてそうやって熱病のようになってすぐその直後に激しく虚脱してひどい頭痛がやってくるのだ。
30代になるといろいろとうまくやれるようになって、思春期じゃないんだからそういうこともなくなる、という話をこのあいだ読んだけれど、自分はあまりそういうふうにはなれていない。

1月にはレントゲンもとってそのときにはふらつき症候群の兆候はなかったのだけども、それなのかどうなのか。

最近思っていたのはやはり動物は年を取るとあちこちすぐ調子が悪くなるんだということ。ハリネズミは自然界では1.5年くらいしか生きない。人間が飼うと3-4年、長いと6-8年も生きます。
いまうちのハリヒコはほぼ満3歳で、やはり先の冬から調子を崩しがちになってきたなぁと思います。どうなるのか。ハリネズミが0歳、1歳のときは多少の気温差でおなかを壊したりしなかったのに、先の冬では摂氏1度の違いでおなかがゆるくなるようで、ケージ内が常に24度ないとダメだった。

今週も一回急に暑くなって寒くなってというのがあったので、それも苦しかったのかもしれない。
人間も年とったら温度変化に弱くなるんだろうか。ハリヒコを見ていて自分の加齢についても考えます。

考えてもせんないことだがかわいそうです。
いまもこの先も苦しさがあまりないことを祈っています。
ハリヒコは自分(わたし)たちの決断と責任においてこの家にいて過ごしているんだからなぁ。いまはペットを飼うということは自分にとっては基本的に(道徳的に)悪いことのように感じています。


# by writetoyou | 2017-06-03 02:01 | 動物