いつか書く手紙

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2016年 05月 26日

小沢健二「魔法的」ツアー初日にいってきたので、個人的レビューです(2016/5/25 Zepp東京)

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小沢健二「魔法的」ツアー初日にいってきました。
2016年5月25日、水曜日。午後7時開演。

いまわたしは赤ちゃんを育てているので
ライブなんてとても無理かな、贅沢だ、と思っていたのですが
いろいろな幸運と
夫の厚い協力が重なりまして
開始からの1時間弱を(そこで帰るなんて本当はもったいないのですが!)
なんとか聴くことができました。

そして、やはり、というか
いや、予想以上に
昨晩は「おおおお!」と感動しました。

身体のなかを言葉がぐるぐると回転します。
「ちびくろサンボ」の虎だったならとっくにバターになっているだろう、
というくらいに。

会場を離れた夜8時から
寝るまでのあいだ
ずっと

「ああー、これはどこかに書きつけておきたいな。

 この感想はきっと
 いま書かないと、
 月下美人の花のように
 明日の朝にはしぼんでいるんだろう。

 感動したという事実はけっして消えてなくならないけども、
 いま書くのと明日の朝書くのとでは
 全然違ったテキストになってしまうんだ。
 そういうものなんだ。わかっている」

と思っていたのですが

このところ、うちの赤ちゃんは
寝かしつけたあとも隣りにいないと
しょっちゅう起きてくる時期(いわゆる夜泣き!)に差し掛かっており、
また、晩に出かけて無理もさせたし、という負い目もあり、

昨夜は感想を書くことはあきらめて、そのまま寝ました。

いまは朝を迎えて、
赤ちゃんは離乳食を食べてシャワーを浴びておっぱいを飲んで
わたしのふとももの上ですやすやと寝ています。

赤ちゃんが眠っているあいだに
書けるところまで昨日の感想(ライブの前半1時間ほどの分だけ)を
残しておきたいと思います。

===

01. 昨日と今日
02. フクロウの声が聞こえる(新曲)
03. シナモン(都市と家庭)(新曲)
04. ホテルと嵐
05. 大人になれば
06. 涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)(新曲)
07. 1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)
08. それはちょっと
09. ドアをノックするのは誰だ?
10. 流動体について(新曲)
11. さよならなんて云えないよ
12. 強い気持ち・強い愛
13. 超越者たち(新曲)
14. 天使たちのシーン
15. 飛行する君と僕のために(新曲)
16. ラブリー
17. その時、愛(新曲)
<アンコール>
18. シナモン(都市と家庭)~フクロウの声が聞こえる(新曲)

以上はナタリーからのセットリストの引用ですが、
わたしは11曲目まで聴いて帰りました。

曲数で見ると、わたしは意外とたくさん聴けていたようなのですが
「天使たちのシーン」が長いはずだし…
聴けたのは、時間的にはたぶん半分弱ではないかしら、と思います。

===

では、個人的なレビューを、まとまりはありませんが書いていきます。

これからライブにいく予定で
なにも知りたくないよ!という人は、以下、読まないでください。

===

!!!

と、ここまで書いて、赤ちゃんは目を覚ましました。

そして、この文章を書いていたMacBookを手のひらでばんばんと叩き、
おっぱいをごくごくと飲み、
絵本をぱたぱたとめくりながら三冊読み、
わたしの積み上げる積み木をがしゃがしゃと何度も崩し、
鏡に映る自分自身とあーあーと語らい、
わたしといっしょにてくてくお散歩に出かけて
帰ってきてふたたびお昼寝に入りました。

もうすっかり昼下がりです…。

赤ちゃんが起きるまでになんとしても書ききりたいので
(謎の意地ですが、そうしないと
 感じたことを忘れてしまうんじゃないかとおそろしいので)
大事なことだけかいつまんで書きます!

===

小沢健二「魔法的」ツアー、10の感想
(ライブ前半部分を聴いて)



1) まさに「新曲」群!

新しいアルバムを期待させる
一連のまとまりと、ボリュームを持った曲たち。

ちゃんと

「いま(わたしたちの生きる現代)」と
「ミュージシャン・小沢健二のいま」と
「『LIFE』などから経てきた20年間の時間の積み重ね」と

その3つが交差するものになっていて
歌詞もたっぷりの新曲たちでした。


2) 会場の演出(グッズ含む)の調和

みんな、知り合いじゃないバラバラの人たちが
お台場っていうかなり空疎な・奇妙な場所に集まっているのに
なんとなく「村の祭り」みたいな感じになっていました。

『球体の奏でる音楽』のときにすでに言及されていた
都市とフォークロアの融合みたいなこと
(たとえば「フォークソングやゴスペル ビルの谷間を目指す模様」とか)が

演奏者たちのコスチューム(部族的な、動物的な、でも宇宙的な扮装)によっても、
ライティング(というか暗さ)やスモークによっても、
「魔法的電子回路」(500円)と名づけられた、お客さん銘々の持つ4色の明かりによっても、
表現されていたと思います。

「魔法的電子回路」は
名前からして「?? またまたご冗談を…」という感じがあったものの
客電が落ちるとほんとにきれい!

色は、ピンク、緑、青、黄色、だったかな?

電子回路(LEDワイヤー)をぐるぐると首や手首に巻き付けるスタイルには、
サイリウム(ペンライト)につきまとう特有の気恥ずかしさがなく
人工的なものなのになんか自然な感じがして、すごくいい。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』っぽさもありました。


3) 昔の曲(90年代の『犬』『LIFE』『球体』3枚のアルバムからバランスよく)も!

アレンジを効かせたり、わりとそのまま懐かしい感じだったり。
冒頭から「もう1回!」と小沢健二に促されてみんなで歌いました。


4) クアトロ告知イベントでの謎がいろいろと解ける仕掛けに

「???」となった人も多かったっぽい
クアトロでの「魔法的」ツアー告知イベントでしたが。

ファンに対して不親切(入れない人多し)というか
なんかハードル上げ気味(本編のメインが朗読)の
告知なのかなぁ、とそのときは思ったものの、
ああ、すごくローテクな、人から人へ、手から手へ伝える、みたいな
そういう小さな規模の始まり方を大事にしてたんだなぁ、と

そういうことがわかる新曲の歌詞だったのです。

作品の内容と、告知のスタイル、演出のスタイルがリンクしていたんだ、と
本番を見ることができて、はじめてわかりました。


5) 意外と若い人も

ライブが始まる前に、会場の外で
年かさの人が年若の人たちを前に
「もー、○○ちゃーん、オザケンとか興味ないとかいいながら
 ばっちり興味あるんじゃん!」
と話している、そういう4人組を見かけました。

お客さんには、もうすっかり落ち着いて
「ああー、お互い大人になりましたねぇ」という人も多かったけれども
意外と若い人も多かったのです。


6) 会場のボーダー率の高さ

いわずもがなかもしれません。ボーダーでやってきている人が多かった。

そして物販にもボーダーTシャツ(4000円。他のは3500円でした)が。

その結果、ボーダーonボーダーも辞さない、という人もいました。

▼トルソーのコーディネート見本はヤバかったです。
 変態的なほど魔法的。
 魔法的なほど変態的。

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7) そこここに見え隠れする「子ども」の存在

会場のグッズにも、キッズTシャツ(3000円)がありました。
おみやげで買う人もいたんじゃないでしょうか。

「ママ/パパは今日はライブにいってくるから、いい子にお留守番しててね」といって
出かけてきて、何か買って帰る。
そういう光景が思い浮かびました。

物販にはわざわざいくつものトルソーが置いてあって
男性、女性だけでなく、子どもの着姿もわかるようになっていました。

▼魔法的ボーダー一家の図…。

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新曲の歌詞も、
「恋人たち」(極小)から
「愛すべき生まれて育ってくサークル(極大)」までだけじゃなく

「父と子」「僕とパパ」のような

誰しもが昔、人生の基本的態度をそこで身につけたのであろう
人間関係のいちばん原始的なひながた=「親子」が
織り込まれているものが多かったように感じました。

いわゆる芸能人の「パパ売り」「ママ売り」
(「あら〜、オザケンもパパになったのね〜」的な)じゃなくて

・「自分が子どもだったとき」

・「いま大人になって、子どもを見つめ、そこから学ぶ自分」

・「目の前にまだいないけど、
 この世界につぎに生まれてくる子どもたち(という名の未来)」

の3つが、新曲には入っているように、感じました。
そういう意味で、作品の裏側にある、概念としての「子ども」の存在感がすごかった。


8) 新曲が出たことで、これまでのいろいろが星座の配置のようにつながる

自分がそうなのですが、
アルバム『LIFE』とその前後の計3枚を聴き込んだあと
数年間待って『eclectic(エクレクティック)』や『毎日の環境学』が出たとき
「どうリアクションすればいいのか」と
放り出された気持ちになった人もいたのではないか、と思うのです。

(『環境学』は妊娠中から産後にかけて聴くのにすごくよかったですけどね!)

そして『うさぎ!』。

「小沢健二」で検索すると
「それでもわたしはついていきます!」みたいな一種宗教的な人もいれば
「変節」ととらえ、「なんといっていいのか…(困惑)」みたいな人もいて。

もっと突っ込んでいうと
「わたし/俺は曲が聴きたいんであって、
 小難しいインテリめいたことを文章でいわれても困る」的な。

「少々内容がややこしいぶんにはついていく覚悟はあるけども、
 音楽でやってほしい」的な。

勝手なファン心理ですが、そういうのを
たまーに(年に一回とか)
「小沢健二」「オザケン」で検索して見たり聞いたりしていました。

わたしはちょうど13歳の頃に『LIFE』を聴き込んだために
イケてない雪降る田舎町でのイケてない中学校生活のあれこれとか
思春期のあれこれとかも
メロディとともによみがえってしまうというのもあり、

かつ「何年も待っているのに新曲出ない!」というのが
やがて身勝手なうらみがましさにまで至ってしまい

ずっと小沢健二を「封印」していました。

オペラシティとか、応募すらしなかった!
横目でちらっと見ていた感じでした。

『我ら、時』が出たくらいから、また聴いたり
カラオケで歌ったりできるようになりました。

そして今回、
新曲の歌詞を読んで(ステージ上のスライドで曲の前に映されたので、読めました)
そういうモヤモヤがほどけたというか、

『LIFE』で「未来の世界へ駆けてく」といっていたのも
『球体』で「過去と未来より来たる旅人」といっていたのも
『我ら、時』というBOXのタイトルも

それぞれがひとつずつ、掘り出された宝石なのだとしたら

それらはちゃんと糸でつなががれて
未完の首飾りのようになっているんだな
ということがわかりました。

なので、深い満足を得ました。

大きな星座を描くように、このさきも
またぽつぽつと新曲が登場する。かもしれない。

これからも心待ちにして聴いていくことができる、
そういう切符を渡された感じでした。


9) ファミリーとしての、小沢家とオザケン

『LIFE』の頃って、特にわたしが田舎に住んでいたのもあって
「オザケン! 東京! 東京! シティボーイ!」みたいなイメージを持っていたのですが

「一地方としての『東京』」
(新曲の歌詞にたしか「目黒の夜は静か」というのがありました)

「フォークロアなものへの敬意」

「文字に書かれて流通するもの(たとえば国語の教科書とかSNSとか)より
 口伝えのものを重視すること」

「子どもへの眼差し、子どもから返される眼差し」

「過去と未来をつなぐものとしての子どもと老人」

などなど

これまでの歌から、そして今回の歌から
特に色濃く見え隠れするそういうテーマは
小沢氏(いきなり氏、というのも変ですが…)ご両親のお仕事と
深くつながっているのではないか、
とあらためて思いました。

昔話(=口承文芸)の研究を長年にわたってされてきた小澤俊夫氏と
子どもについての著述も多い小沢牧子氏と。

べつにオザケンにかぎらず
誰にだって家族があって、生まれ育った村とか町とか自然とかがあって
そこから切り離しようのない人生を生きているんだと思うんです。

ミュージシャンでも一般人でも。
大工さんでも学校の先生でも。

家族の歴史とか環境とかが圧倒的に先にあって、
それが一人一人の生き様に現れている。

でも、そういうことをわざと忘れさせて
あたかも「人間は一人で生きているんだ」って錯覚させるような仕組みが
いまの世の中にはたくさんある気がします。
(「自己責任」とかまさにそうだ…)

そんななかで、こうやって
「よく見ると『ファミリー』の結果としてものを生み出している姿」にふれると
ハッとなるわけです。
(ま、財閥系企業とかもそうですけど)

『ゴッドファーザー』のコルレオーネ家みたい、と思ってしまった。

(ちなみに、おなじようなことは宇多田ヒカルさんにも感じます。
 彼女のお母様が亡くなられたとき
 この元・天才少女にとって音楽は「業」なんじゃないか、とさえ思いました)


10) 直球!

「『LEFE』みたいな直球の歌が聴きたいんだよー!」という
もはや口に出せなくなっていたファンの願いがあったと思うのですが
新曲は「2016年の直球」なんだと思います。


===

まだ赤ちゃんがお昼寝しているのでもう少しだけ。

(かいつまんで箇条書きにすると
 かえって本当に書きたいことから離れていくという
 このやるせなさよ!)

===

・新曲の歌詞について

食べるとか眠るとか
人間として(動物として)大事な行為をきちんと大事にしよう、
みたいな言葉も歌詞には多くて

子どもをまさにいま育てはじめた自分としては、すごくしっくりきました。

だって、きちんと食べさせるのもぐっすり眠らせるのも
すごく大事で、かつ、やってみたらほんとに大変なことだから!

でも実はこういう歌詞って、いま急に始まったことじゃなくて
(くりかえしになりますが、「オザケンもパパになったわね〜」じゃなくって)

たとえば『LIFE』の「おやすみなさい、仔猫ちゃん」も
子どもへの子守唄としても聴けるわけで
20年の時を越えて、「ああー」とすごくつながって感じられます。

あと新曲の歌詞で
「本当に誕生するのはパパとママのほうで」というのがあって
これも子ども生んだときにすごく実感したことでした。じーん。

子どもが生まれて、
わたしの知らなかった「夫の、父親としての側面」が急に出てきたのです。
「えー、こんな人だったんだ!」という発見。

わたし自身も自分じゃよくわかりませんが
夫からしたらきっとそう見えているはずなのです。

そして夫婦は、家族という新しい関係性にふみこんでゆく。

ああ、こんな「親としての成分」を
わたしたちはちゃーんと隠し持っていたのか!そしてそれは
突然に、そして適切に引き出されるのだ、
生まれてきたこの赤ん坊によって、という
実感。

そういうことを、新曲の
「本当に誕生するのはパパとママのほうで」という歌詞を読んで、思い出しました。

あと「流れる涙は透明な血なのか」という歌詞。
わたしは授乳中なので
「おっぱいって白い血みたいなものなのかなぁ」という
普段思っていたことも考えてしまいました。すみません。

また、
「明るく照らしていくこの先にある確かな時間」
という歌詞。

「時間」って書いてあるけれど、
これって「子ども」や「この先生まれてくる子どもたち」って
読み替えられるんじゃないかな、と考えました。

だって「時間」って概念でしかないんですよ。
わたしは物理学に疎くて、そう感じてしまいます。

でもそれが「子ども」っていわれたとたんに、超具体的になる。

自分がいなくなっても、この世界は続いていって、
そこを子どもたちが歩いていく。

そういうことが「この先にある確かな時間」なんだっていうのならば

(うろ覚えですが)「いい言葉で」「いいことをしよう」みたいな
身もふたもない歌詞が新曲にでてきて、

これってすごく、
『LIFE』で当時みんなが
「ぎゃー、こんな直球ありなの!」
「こんな肯定感ありなの!?」とびっくりした

「夢で見た彼女と会ってFEEL ALRIGHT」という歌詞にも匹敵する
2016年の「LIFE(生)の肯定」、そして決意、なんじゃないかな、と思いました。

呪いの反対?

ことほぐ、みたいな。
言祝ぐ。

この世にはよくないものはたくさん渦巻いているけれど、
よいものもたくさんあって、
大人は、未来=時間=子どもたちを信じて、彼/彼女らために
いいことをして、ちょっとでも世界をマシにしていく。

ライブは途中で退出したのですが、そんなことを感じました。

なので、とても満足です。

赤ちゃんと暮らしているという、
いまの自分の境遇にひきつけすぎの解釈かもしれませんが、
こういう感じ方もあったということで記録です。

===

最後に:


・ドアノックダンス顔負けの振り付け(ダンス)が多かった!
 サザンのライブかと思うほどでした。
 わたしは楽しかったですよ!
 アルバムが出たら覚えて子どもに踊ってみせるつもりです。


・わたしは途中退出したのでほとんどMCは聴いていないのですが
 (あまりMCなかったのかな?)、
 印象に残ったセリフがひとつ。

 新曲のなかで「国際的なやーつ!」みたいな掛け声をオザケンがかけたのですが
 それは、そこまで日本語だった歌詞を
 英語に言い換えて歌う、というところで発された言葉だったのです。

 これはオザケンギャグ(ブラックジョーク)なんじゃないのかなぁ、と感じました。

 日本とアメリカを行き来している人が、
 大学で英米文学専攻だった人が、
 英語と日本語の両方で子育てをしている人が(「魔法的」クアトロイベントの朗読より)、

「国際的=英語で話すこと」だなんて思ってない気がします。

 むしろ
 国際的とか、グローバルとかっていうのは、ほんとうは
 昨日の演奏者たちの、羽根かざりとか顔のペイントとか動物っぽい扮装とかみたいな
 土着のもの、自分が生まれついた逃れようのないバックグラウンドを
 互いに大事にするっていうことなはずで、

「国際的=英語で話すこと」というのは軽いブラックジョークじゃないかしら、
 と思って聞いたのですが、わたしの誤解かもしれません。
(最近では、「グローバル」といってなんでもかんでも英語でやる大学もあるとか!)


===

 赤ちゃんがよく眠っているので、そろそろ起こします。
 夜眠れなくなると困るので。






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by writetoyou | 2016-05-26 15:56


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