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いつか書く手紙

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2017年 06月 07日

ハリネズミのハリちゃんのおとむらいとお墓(昨日のこと)

静岡に日帰りでいってきて
夫の実家の庭にハリちゃんのお墓をつくってきた。
子どもと一緒に二人でいった。

かんたんなことに思っていたけれども
やっぱり子どもも元気だし遊びたいので
結構移動は大変だった。

新幹線でいくほどの距離のあるところに
ハリちゃんを運んで帰ってくれば
離れた分だけさっぱりとするというか
自分の気持ちに区切りがつくように思ったけれども
まだまだまったくもって悲しい。

とにかく家にハリちゃんのBODYがあると(いると)
いつまでもそれに向き合ってしまうと思ったので
そしてそれはよくないことなので(娘にとって)
一刻も早くおとむらいをしてあげたいと考えていた。

昨日、動物病院でハリちゃんを引き取ったときに
ミヤマ先生は都内の霊園のパンフレットを2通下さった。

けれどもそのときにパンフレットの中身も見ないで
「明日、新幹線で静岡にいって
 夫の実家のお庭に埋めてこようと思います」と
話したので
つまり
死んだと電話を受けた8:45くらいから
遺体を引き取った12:00くらいのあいだに
もうそのことは決まっていたのだけど
どうやっていつ決めたのかよくわからない。

夫が出かける前に
わたしがそう話したのかもしれないし
夫がそう話したのかもしれないけれども
ほぼ同時にそうするのがいいと思ったわけだった。

はじめていく霊園よりも
よく知った、しょっちゅういくところがいいし
明日すぐいってこられるところがいいと思った。

動物病院から帰宅すると
外出先の夫から電話がきて
「霊園のパンフレットももらった」と話したら
「いくらって書いてある?」といわれて
ああ、そうか、現実的だな、と思って
「たぶん5,000円くらいじゃないかな?」といって
中身を見て説明しようとしたら
焼いてもらうのに小さな生き物でも
30,000円で、さらに埋葬にお金がかかるので
けっこうそれくらいするんだなぁと思った。

さらに読むと、たいがいの場合は他のおうちの
動物さんと一緒になるので
それまで日を待たねばならないらしい。
それはとてもいやだ。
ずっとハリちゃんのBODYが家にあるなんて
つらくて耐えられない。

そんなわけで今日、静岡にいってきた。
子どもの咳が気になったので小児科に寄ってからいくと
結構遅くなってしまった。

新幹線でも子どもは咳をしていた。
背中をさすったりお胸をトントンしてやるけれども咳こんでいる。

今日はよく晴れていてカラッとして
ハリちゃん日和だ。昨日も。

ハリちゃんは北アフリカ原産だから
それなりにあったかくて乾燥しているのがいいのだ。

昨日は家の気温計では摂氏27度、湿度23%だった。
いい日に死んだね、とも思ったし
こんなにいい日なのに死んじゃっててごめんね、とも思う。

今日は死ぬのにうってつけの日、という小説があったと思う。
あとから調べたら
今日は死ぬのにもってこいの日 と
バナナフィッシュにうってつけの日 が自分の中で混ざっていた。

そういえば動物病院のミヤマ先生は
「ハリヒコくんは最後は意識が薄れていくような感じで
 亡くなったと思います。苦しくはなかったと思います。
 そんなふうにちんまりと横たわっていました」
といってくれていた。

おしりからたくさん血が出てしまって
失血死のような感じだったのだろう。
かわいそうにと思う。

でも「だんだんと意識が薄れていく」と聞いたときに
「マンガのバナナフィッシュみたいな死に方だったのかな」
と思った。

無敵の主人公が、最後はあっけないことでナイフでさされて
衆人環視の中で意識が遠のいていって死ぬ、
そういう結末だったと思う。
それはふしぎと幸福感のある終わり方だった。

静岡のお庭では
穴を掘って
ハリちゃんの使っていた床材(白樺のおがくず)をしいて
その上にハリちゃんを乗せた。

ハリちゃんは慣れない場所にいくのが嫌なのだ。
知らない場所にいくときは(動物病院くらいしか外出はなかったが)
ハリちゃん自身のにおいのついた
おがくずやタオルを持っていくのが習慣だった。

なのでお墓の穴の中にも
最後に使っていた床材を敷き詰めた。
においがいつもと違うのは
具合が悪かったせいだろう。

埋葬する前に
ハリちゃんを芝生の上に置いて
その上にたくさんお花を乗せて
お花だらけにした。

ハリちゃんは一回りも二回りも小さくなっていて
あじさいの花の房とそれほど大きさが
変わらないように感じた。
花だらけのハリちゃんはとてもかわいかった。
そうでなくてもかわいいけど。

生きているときはふしゅふしゅ威嚇するから
あまりさわれなかったけれど
何度なでても動かない。
鼻筋を何回もなでて
ありがとうといった。

===ここまで、昨日書いた部分。ここからは今日書いた部分

夫は「ごめんというとハリちゃんは嫌がるよ」と
わたしにいっていたが
わたしはどうしても
ごめんね、ごめんね、といってしまう。

自分のせいで苦しんで死んだのだ。
脱水しなかったとしても
最後は苦しかったかもしれないが。

・わたしに五月下旬、もう少し余裕があったら
・余裕がなくなるくらい仕事を請けてしまうバカじゃなかったら
・余裕がなくてもささみを食べない時点ですぐ緊急食をつくるまめさがあったら
・危機的状況だと察知して病院に連れていく嗅覚があったら
・忙しくてもすぐ気づいて行動する人間的度量があったら
・娘が生まれてからハリちゃんをしっかり可愛がれていないという
 引け目があって、きちんと向き合えていなかったけれど
 わたしがそんなふうなムダな完璧主義でなかったら
 
などなど、わたしがどれかひとつでもクリアしていれば
ハリちゃんはきっと今頃生きていたのだ。
やっぱり自分の性格と行動のせいだ。

(でも、夏を越せたかどうかはわからないと思う。
 いま考えると、実はハリちゃんは弱っていた気がする。

 というのは、この2週間ほどで
 うんちのにおいが変わっていて、それは不思議だったのだ。
 そういうことはこれまであまりなかったので。
 動物病院の先生のいうように
 やはり腸の病気だったのではないかと思う。
 
 また、この2週間、暑かったり寒かったりといっても
 ケージの気温は23度後半〜27度前半のあいだをいったりきたりで
 去年までのハリちゃんであれば快適な範囲だったはずなのだ。
 それがどうもこたえているように見えたのも異変だった。

 そもそも1月、2月に病院にいったときに
 レントゲンで見ておなかにガスがたまっていて、
 今回もそうだったというのは
 継続して胃腸になにか問題があったのかもしれない。
 (薬を飲み続けたほうがよかったのかもしれないのに
  すっかり元気に見えたので通院をやめてしまったのはわたしだ。)

 5月にケージのそうじをしたときには抜けたハリが
 何本もあった。これも幼少期のハリの抜け替わり以来のことで
 弱っているサインだったのかもしれない

 でも、こんなふうにハリちゃんが病気だったと
 フラットにそう思える証左をいくら挙げたところで
 わたしがやっぱり苦しませて死なせてしまったんだという
 自分にとっての事実は変わらない。

 ああ、あのとき、という
 気がついてしかるべきだった
 ポイントが先週だけで3つくらいある。

 ・お水切れの時点ですぐに水をやるべきだった
  (娘の夜泣きで呼ばれてそのまま寝落ちして5時間ほど遅れた…)

 ・お水切れのあとに水を出したら、ハリちゃんは
  あせって水をこぼした。こぼしたものを一生懸命
  飲みだした。噛まれてもいいから無理矢理止めて
  ケージ内を拭けばよかった。一緒に砂や床材を食べてしまって
  それでおなかをこわしたのかもしれない

 ・ささみを食べなかった時点で緊急事態だと認識して
  病院に連れていくべきだった。木曜まで仕事が入っていたけれど
  木曜に早く帰ってきて連れていくことはできた
  (逆にいうと、やっぱり木曜午後までは難しかったと思う。
   また、娘を連れて夕方にいくのは寝かしつけなどが
   ずれこむので、ためらってしまっただろうとは思う)

 と、そんなふうにいろいろとぐるぐる思って

 でも、どの場面を思い出してもわたしは疲れていたのだ。
 思えばずっと疲れている気がする。それもまた嫌なことだ。
 自分の度量とか体力の問題として。

 一日に何度も、一人になるとうっと涙が出てくる。
 実際は一人になる時間というのはほとんどないので
 子どもにテレビを見せてごはんをつくっているときとか
 ベビーカーを押しているとき
 絵本を読んでいるとき
 歌を歌って聞かせているときなど
 急に涙目、涙声になってしまう。)

埋葬の話に戻る。
花をたくさん、そして茹でささみを少々、
ハリちゃんと一緒に土の中に置いて
ハリちゃんの使っていたひんやり大理石(涼をとるための道具)と
土管(隠れ家、つめとぎ)を
墓標として、ともに埋めた。

日当りの具合、まわりの花や木、大きさ、見た目、
とてもよいお墓ができて、
満足した。

そのあと娘とお義母さんと散歩をしたら
とてもさっぱりした気がした。
元気が出た気がした。

でも新幹線に乗って東京へ戻る途中
娘に歌を歌って寝かしつけていたら
急にまた泣けてきた。

娘は寝た。

遠くに巨大な雲を見た。
ラピュタに出てくる「竜の巣」のような。
ゲリラ豪雨の雲でないかと思った。
そのとおり、新横浜をすぎて品川にかかるころ、
外はすごい雨のようだった。

雲は厚いが、西の空は輝いていた。
お日様がまぶしかった。
西方浄土へ向かって
ハリちゃん、ハリちゃん、と思った。

とてもよく晴れた乾いた日に亡くなって
その翌日も同じく晴れた乾いた日で、おとむらいをしたのだ。
日本ではめずらしいほどの気候が二日もつづいた。

そしてハリちゃんは天国へ旅だって
激しい雨が降ってからだは土へと還るのだ。

天国で楽しく暮らしてね
もう苦しいことはないんだよ
彼女を見つけてね(一度も子どもを残させてあげられなくてごめんね)
などなど思ったり
浄土へおいきなさいと思ったり
自分の宗教観はめちゃめちゃだなと思った。

天国、とも思うし
西方浄土、とも思うし
蝶やヘリコプターを見ても
魂が飛んで上っていくのかな、と思う。

めちゃくちゃだが、そのようにわたしは
死や生を認識してるんだなと思った。
誤った設定でもよいから
なんらかのそういう認識がないと死を受け止められない。

そんなことを思った。

夜になってから友達(先輩)に長いメールを書いたら
泣きすぎて頭ががんがんした。
わたしは偏頭痛もちなので
涙が出ると、同時に頭痛がする。
なので日曜日から頭がずっと痛い。


by writetoyou | 2017-06-07 00:32 | 動物


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