人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いつか書く手紙

write2you.exblog.jp
ブログトップ
2006年 11月 19日

地下鉄に乗っています




地下鉄に乗っています_f0117651_1923945.jpg




地下鉄に乗っています_f0117651_193284.jpg




地下鉄に乗っています_f0117651_1932362.jpg




地下鉄に乗っています_f0117651_1934980.jpg




地下鉄に乗っています_f0117651_1942054.jpg







今日、脚が痺れています。
膀胱炎になりそうなしるしです。寒いとなりやすいのです。
お医者さんには昔、膀胱炎の原因は冷え、生理、疲れ、ストレス、セックスといわれました。男の人にも覚えておいてほしい。

久しぶりにヒステリック・グラマーのパンツとフラボアのパーカで出掛けきました。最近よく着ている他のものが、乾いていなかった。
一緒に歩いていた人は少し嫌がっていました。やんちゃな格好だから。わたしも不慣れな感じがして、変な気分だった。昔はこの格好が落ち着くと思っていたのにな。

一年半前と同じ格好をしてみて、同じ布地に包まれているけれど、中で活動している、あたたかく脈打つわたしは、その頃とはまったく違うメンタリティでいると気がつきます。いつの間にか脱皮していた虫が、ふらりと元の殻をみつけて入ってみた気分は、こんなものかもしれない。

体つきも変わったし、体質も少し変わったし、顔も、性格も。

きっと人は変わってゆく。変わらない部分も大きいけれど。
家族とか、
お母さんだとか妻だとか、
父だとか祖父だとか、
長男だとか、
お姉さんだとか、
妹だとか末子だとか、そんなふうにわたしたちは互いの繋がり方を説明しあう。

恋人だとか友達だとか
彼氏、彼女。

そうやって説明しあって、関係をあらわす言葉で規定しあって、わかった気になっているけれど
だけど人は変わってゆく。
変わってゆく相手を発見して認めていけたらいいけれど
それができずに相手を見失ったり、
反対に理解されていないと思って孤独を感じてしまったり
また変わっていこうとしている相手を自分の知っている枠にはめようとしてしまったり
そんなことがあるから
家族や恋人ってこわいと思う。濃いつながりはあたたかい。
けれどそれについてまわる落とし穴がある。それは、変わってゆく相手を認められなくなること。

普段の濃い繋がりが
固定化してしまって
妻を
妻や母としてしかみられなくなったり
夫を
夫や父としてしかみられなくなったり
そしたら、互いにきっとつまらないんだろうな。そして悲しい。

だって妻も母も役割を示す言葉だから。
恋人も娘も祖母もそう。
それはその人を説明してはくれるけれど、それはある人にとってのある時ある場所においてのその人でしかない。

彼女は子らの母です
彼女はわたしの妻でもあります
彼女は両親からみたらいつまでも娘であり
彼女は浮気相手にとってみたら恋人で
彼女は職場では上司でもあり部下でもあり
道ゆく人にとっては
おばさんかもしれず
きれいなお姉さんかもしれません

だけどそんな説明をいくら集めてみても
説明しきれないものがある。

あの人は…だ
では言い切れないもの。
必ずある
きっとある
それが実感できなくなると、つらい。他人の欲望も自分の欲望もゴッチャになってしまう。たとえば自分自身の在り方を忘れた母親が、子供に無理な自己実現を強いるように。

人が恋愛をしたときに再発見した気になるもの、それは
役割や関係を示す言葉では示しきれない自分
ではないかと思います。

ああ、この人にわたし、わたしにこの人、と思うぴったりした感覚。
それが救ってくれるんじゃないかなあ。

結婚が制度であるのと同様に恋愛も制度ではないかとわたしは考えています。少なくともすごく文化的な行為だと思う。天然自然なものではなく、後天的な学習の結果です。やりたい、とかとも違う。それと不可分ではあるけど。
恋愛を否定したいわけじゃありません。むしろ、そう考えてもなお恋が与えてくれるめくるめく感覚しっとりとした感覚についてときどき考えます。で、役割から放たれてかつ互いを大切に思えること、それが恋愛が与えてくれることなのかなと思います。
そして、恋人のこともいつかもつ家族のことも、なるべく枠にはめずに見ていたいなと思うのです。それが、わたしが人をすきになって学ぶことです。

by writetoyou | 2006-11-19 21:29 | 移動中に


<< 花は      キャベツ >>