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いつか書く手紙

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2006年 12月 31日

年が暮れる






年が暮れる_f0117651_1453859.jpg






年末の風景は
いつでも心がざわざわする。


ときめくという言葉は
あまり使わない言葉で
わたしにとって
冗談のように響く言葉だけれど
もし
ときめくものを挙げろといわれたら
いちばんの答えは
年の瀬
だと思う。

他に浮かばない。
あとのものは
わからない。


好きな人ができても
そのときの状態が
ときめく
かといえば
そうではない気がする。
しっくりこない。

すごく美味しそうな料理が
湯気を立てながら
目の前に運ばれてきたとき
それもドキドキはするけれど
それが

ときめく
かというと

違う気がする。




年が暮れる_f0117651_1453856.jpg






料理を前にしたときのドキドキは
在処がわかっている。

お腹が空いているから
体が欲しているから
そして
それを満たしてくれるものがそこにあるから。


食事の高揚も
恋愛の高揚も

欲しいということ
欲しいものがそこにあるということ
そしてそれは手に入りうるものだということ

そういう要素からできている。


ときめくというのは
もっと

得体のしれない
実利を離れた高揚感

じゃないかと
思うから、
食欲も性欲もあてはまらない。


もっと妖しい
もっと魔力のある感じ。


薄い紙を通して
向こう側を見るとき
向こうにあるものは
同じもののはずなのに
微かにどきどきするような
そんな
はかない高揚感が
ときめきという言葉の
指すものだと思う。

はかなくて
実がなく
人を惑わせて
とろけさせる
装置というか
仕組みを
内側に備えているもの

それがときめき。


年の瀬はそう。
まさにそう。
冬至もそう。

冬至は
一年でいちばん日が短く

すべてのものが

鳥や
裸の木や
裸の木に僅かにひとつふたつ残る
熟れ切った柿や
枯れた蔓についた
オレンジ色の
丸い烏瓜
藪の狐
空を切る雁

それらの生き物たちが皆

息をひそめる日。


生き物に限らない。
山や川や空もまた
息をひそめる日。

それが冬至で
つまり

皆が皆
生きながら死を思う日。
敬虔な気持ちで
太陽に感謝する日。
厳かに
いまここにいないもの達に
思いを馳せる日。

そして
太陽は美しく
その光は
故意にかと思う程
弱い。

いつもあたりまえに
そこらじゅうにあふれていて
誰も気にとめはしないから
光の粒達は
薄く少なくなることで
皆に気づかれるように
仕向けているのではないかと
そう感じるほど
冬至の日の
光は
弱い。

朝起きてまだ暗く
夕に気づけば既に暗く
シンとした気持ちがする。
そして嬉しい。


寒くて暗く
身体が
ほら穴に入りそうなくらい
縮こまる日。

そして
太陽の暖かみが
いつもの何倍もに感じられる日。

縮んだ身体をまた
明日から伸ばしていけると感じる。

短い日も
明日から長くなっていくと感じる。
すごい。素晴らしい。

生きたまま
死を体験し
生きたまま
生まれ変わる。





年が暮れる_f0117651_1453827.jpg







死と再生を
太陽に合わせて
しるしをつけると
冬至になり
同じことを
人間の暦でやるのが
年越しなんだろう。



年が暮れて
年が明ける

その表現は
一日と同じ。

日が暮れて
夜が明ける

というように。


一日一日
太陽が隠れては
再び現れることに
なぞらえて

一年という区切りを
わたし達は
とらえている。

そのことを
暮れる・明ける
という表現から知る。





年が暮れる_f0117651_1453847.jpg






年が新しくなる。
わたしの身体も
一部は死に
その端からまた新しく生まれ
(たとえば
髪が
抜けては
また生い
ぐんぐん伸びるように)
過ぎた年を受け継ぎながら
同じひとつの身体として
この
いま書き記している
(携帯電話端末で
文字を打ち込んでいる)
わたしを
乗せて
身体は
年を越えて
生きていく。


新しい年に
よろしく

新しい身体に
よろしく

いま目の前にいる
新しい妹に
よろしく

そういう気持ち。


すべてのものが
古くからの形を
引き続き
引き継ぎながら
新しくなってゆく
新しくなり続け
連続してゆく
そのことが
可愛く
いとしくて
よろしく
と言いながら
目を閉じて

おとづれる新年に
耳を澄ます。

by writetoyou | 2006-12-31 23:45 | 季節のうつろい


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