いつか書く手紙

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2007年 02月 06日

妹とわたし






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写真は
日曜の夜
最後にわたしがまた東京に戻るとき、
こっちを見てくれていたコロ。






ペットの死に際して
妹とわたしとで感じ方が違うということがわかった。

犬の看病をしていた妹。
わたしは東京にいたから
日曜の午後に何時間かさすったりしただけで
なにもしていない。
妹は
かわいそうだ、かわいそうだといって泣いていた。
鼻を赤くしていた。

あんなに元気だったのに
といっては言葉を詰まらせていた。

わたしはそれよりも
もうコロにさわれなくなるということを想像しては
そんなのは嫌だと思って
泣いていた。
もう家に着いても
たったったったと出てこない。
他の誰かと勘違いして
ばう
と吠えたあと間違いに気づいて
恥ずかしそうにひとこと低い声で
うう
とごまかすこともない。
脚を踏ん張って期待した目でこちらを見つめない。
くるくる回りながら足にまとわりつかない。
縁側に両手を乗せ、その間に顎を置いて
上目遣いで媚を売ったりしない。
もう、笑ってくれない
(ころは安心して機嫌がよいと口角が上がる犬だった)。

もう
撫でる顎がない。
つまむ耳がない。
さする腹がない。
つかむ腕がない。
掴む尻尾がない。
梳る背中がない。
引き綱を引いた先に感じる手ごたえがない。
ざらつきのないピンク色の舌で舐められることもない。
誤って尻尾を踏まれたときの
きゃうん
という悲鳴もない。

そんなふうになってしまう。
いまはいるのに。
今はここにいて、生きているのに。

今までずっとそうだったように
いまもわたし達に可愛がられてくれているのに、
もうそれがなくなってしまう。

犬を可愛がることは、可愛がってやるというよりも
可愛がられてもらうといったほうが正確だ。
犬はどんなときでも
こっちの気持ちが乱暴でない限りは
慰めてくれるし一緒にいてくれる。

今いるのにいなくなってしまうということがすごく嫌で、
動かなくなるとか
そしたらその体がどんどん冷たくなっていって
傷んでいく

食べ物でいうところの「傷む」
バナナが黒ずんでいくとか
梨がぶよぶよになっていくというような
そんな意味での傷みが始まって

だからその前に燃やして骨にする。

そういうことがすごく嫌だと思った。

動いていたのに。
蝶々追いかけていたのに。
雪の中ではしゃいでいたのに。

右半身が動かせなくなっても
がんが進んでいても
舌を動かして水をぴちゃぴちゃ飲んでいるのに。
箱から出ようとするのに。

それが動かなくなるなんて。体がなくなるなんて。

嫌だと思ってわたしは泣いていた。
妹は
あんなに元気だったのに
こんなに動けなくなってしまってかわいそうといって泣いていた。
妹のほうが優しいということなのかな。
妹はコロの体の苦しさを想像して泣いていて
わたしは
自分がコロをさわって話しかけてかわいがって楽しむことばかりを考えては
それがもうできなくなることを
認めがたく悲しく思って泣いていた。

また変わっていくかもしれないけれど
わたしの中での
死ぬということ・別れの悲しさは
そのひとにもうさわれないということ
なのだなとわかった。
そしてわたしにとって
いとしいということは
さわりたい・さわるということなのだとわかった。
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by writetoyou | 2007-02-06 17:29 | コロ


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