2007年 02月 27日
2007-02-09 08:42 「年賀状が届いてから時々おじゃましています。 ペットのことが書いてあるくだりで昔を思いだしていたけど、 どうやらまたその後に飼った犬のことだったのかな? わたしの富山での記憶は11歳までだから。 ウチの犬は昨年病気をしました。 手術をすれば生きられる可能性は高いと言われ、 家族は高齢の犬に迷わず手術をお願いしました。 だけど白内障で失明し、トイレで用を足すことを忘れてしまったその犬は 私の子供が生まれたと同時に隔離されました。 それでもドアを開けて出てこようとするので鍵をかけられてしまいました。 家族はかわいがっていると言うけれど、 私は病気をしたときに自然に任せるべきだったと思うのです。」 >みっちゃん コロというのは、小学校六年生の夏に飼い始めたのです。 みっちゃんちの犬は生きているんだね。 みっちゃんの立場ならわたしもみっちゃんのように考えるかもしれません。 でも、みっちゃんちの犬は生きていていいなあと思います。うらやましいな。 自然に任せるべきだったというのはわたしも思います。 うちの犬も自然に死ねたらよかったのになと思います。 みっちゃんちの犬は死ぬかもしれない場面で人為的に生きる方向へ治療をされて うちの犬は死ぬかもしれない場面で人為的に死ぬ方向へ処置をされたといえるので そういう意味では、 動物の命に人間がどこまで関わっていいものか という問題としてつながっているのかな。 コロの場合は手術とかで生かせる道があったわけではないらしいので みっちゃんちの犬とみっちゃんの家族が迫られたような選択というのはなかったと思う。 もし手術って方法があったらまたそれはそれで苦しい気持ちがしたのかもしれません。 でもとにかく生きていてほしかったな。 死ぬにしても、 自然に日の光がどんどん細くなってやがて山の端に隠れるような感じで だんだん命のヴォリュームが下がっていくような感じで 死んでゆくやり方があったと思うから、 そうさせてやれなかったのは悲しいです。 注射をされて死んでしまったというのは考えると悲しいです。 もし安楽死させず死を待ったらその間にすごく苦しんだかもしれないし、 犬だからしゃべれないから、人間は苦しさの度合いがわからない。 でもやっぱり安楽死はなるべく避けたかったな、ぎりぎりの方法だと思うからこそ ぎりぎりまで至っていないのにそれを選択してしまったのだと思って、後味が悪いのです。 ところでみっちゃんは今子育てしているんだね。 ふしぎな気持ちがします。 わたしが思う浮かべるみっちゃんは、小学生のときの姿なのです。 まず思い浮かぶのはそれ。どんな格好かも憶えている。 ランドセルだったり マラソン大会で赤白帽子かぶっていたり。 アルバムの写真でそう憶えてしまったのかな。 わたしも子どもがほしいので、近いうちにうみたいな!
by writetoyou
| 2007-02-27 11:19
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