いつか書く手紙

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2007年 09月 16日

ゴールデン・レトリバーが死んだ話





おばあちゃんちの犬のセナは
うちにいたん犬じゃないけれど
でも死んでしまって悲しい。

このあいだ帰ったときに会った。

そのときはもう静かにしていて
でもとても撫でてほしそうにしていた。
人が来ると
立つちからも余りないのに
はしゃいでくれるのだ。
でも時間もなくてわたしはあまり撫でられなかった。

うちの犬のコロにしても
広島のおばあちゃんにしても
セナにしても
死ぬのがもうみえているひとというのは
同じ雰囲気がある。

死ぬ前なんだから
もっと優しくしてあげられたらよかったけれど
なぜかそういうわけにいかないのだった。

触れづらいというか
ふだんなら触りたくなるのに
あまり触りたくならないのだ。

振り返って、
それが生命力が低下するということかなと思った。

命の光のようなものが弱まってしまうんだと思う。

セナちゃんは苦しんで死んだそうだ。

最後は抗ガン剤もやめていたようだ。

目を開けて
舌を噛んだまま
死んでしまったらしい。

死ぬ前の五日間ほどは
夜中も
痛みのせいか
さみしいのか
ずっと鳴き続けるので
おじいちゃんとおばあちゃんが
交代でそばにいて
撫でてやっていたらしい。

そして昨日
いとこ(2歳11ヶ月。おばあちゃんにとっては孫)をよそへ送っていくために
おばあちゃんは「まっててね」とセナちゃんに声をかけて
出掛けて
帰ってきたら
そのときにはもう死んでいたらしい。

まだ生きているものと、死んでゆくもの。

死んでゆくものに対して
元気なわたしたちは
全力で関わることはできないんじゃないか、と思う。

元気なものは元気なものの社会の中で活動しないといけない。
そういうふうにしないと生きていけないから。

そしてそれでいいんだと思う。さみしいけれど。

前はそういうことがわからなかったけれど。
親しいものが死んで
でも健康に生きているわたしは
耳がつんとするまで泣きじゃくったり
後悔で眠れなかったりしながらも
また朝は来て
ご飯を食べたり
人に会ったり電話をかけたりして
仕事にもいくし
どこかで悲しんではいても
一日のうちで笑うときはあるし
そうやってだんだんと慰められて
元気になっていく。
そうでないと
みんながみんな暗くなってしまって困る。

生き物が死ぬのは当たり前のことで
それを悲しむのもとうぜんのことだけれど
死んでしまったもののことを思い出しながらも
元気に生きていくんだなあと思う。

前は
死んでしまったもののことを忘れてしまうなんて
不誠実だと思っていたけれど
忘れるわけじゃない。

生きているものには生きている世界があって
いつか死ぬ日まで
死んでしまったもののことも考えながら
新しく生まれるもののことを応援しながら
今自分という体で生きているということを
自分なりにやっていくしかなくて
あまり悲しみにこだわりすぎるのはよくない。

でも今はやっぱり
あんなに体の大きかったセナちゃん(セナは、ゴールデン・レトリバー)が
すっかり縮んでしまったこと、

ほんとうにわんころという感じで
まりのように小さな頃
畳の上で
はしゃいで卓袱台の脚のまわりを
猛烈な速さでぐるぐる回っていたこと
そして爪があたるので畳が毛羽立ったこと、

そういうことを思い出すと
ほんとうに悲しい。

そしていま、本店
(おじいちゃんとおばあちゃんの家の呼び名
 うちは寿司屋で、祖父母の家が本店だったので)
では
もうみんな
眠ったかも知れないけれど
それでもあの家は
深い深い悲しみの中だと思ったら
今日の夜は
ずっとずっと長く続く気がした。

太陽の光を浴びて
黄金色に輝く
太い、こわい、しっかりした毛の持ち主だったセナは
先月みると
ふわふわのやわらかく白い毛のぬいぐるみのようになっていた。

今はもう死体になってしまって
きっとあさってくらいには
お葬式をして
荼毘に付されると思う。

死んじゃったから
二月に死んだうちのコロちゃんと
犬の天国で会ってたらいいなあと思った。
(ふたりはそんなに仲良かったわけではないけれど)
(そして天国というものがあるのかどうかしらないけれど)
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by writetoyou | 2007-09-16 03:07 | 動物


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