カテゴリ:コロ( 14 )


2007年 08月 12日

帰省





今度帰省するけれど
犬のいない家に帰るのはつらい。
お盆だからこんなことを考えるのかな?と妹と話した。
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by writetoyou | 2007-08-12 23:36 | コロ
2007年 08月 12日

犬の話





急に、犬が死んだときのことを思い出して
悲しくなった。
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by writetoyou | 2007-08-12 03:49 | コロ
2007年 02月 27日

返信2 みっちゃんへ




2007-02-09 08:42
「年賀状が届いてから時々おじゃましています。
ペットのことが書いてあるくだりで昔を思いだしていたけど、
どうやらまたその後に飼った犬のことだったのかな?
わたしの富山での記憶は11歳までだから。
ウチの犬は昨年病気をしました。
手術をすれば生きられる可能性は高いと言われ、
家族は高齢の犬に迷わず手術をお願いしました。
だけど白内障で失明し、トイレで用を足すことを忘れてしまったその犬は
私の子供が生まれたと同時に隔離されました。
それでもドアを開けて出てこようとするので鍵をかけられてしまいました。
家族はかわいがっていると言うけれど、
私は病気をしたときに自然に任せるべきだったと思うのです。」


>みっちゃん

コロというのは、小学校六年生の夏に飼い始めたのです。

みっちゃんちの犬は生きているんだね。
みっちゃんの立場ならわたしもみっちゃんのように考えるかもしれません。
でも、みっちゃんちの犬は生きていていいなあと思います。うらやましいな。

自然に任せるべきだったというのはわたしも思います。
うちの犬も自然に死ねたらよかったのになと思います。

みっちゃんちの犬は死ぬかもしれない場面で人為的に生きる方向へ治療をされて
うちの犬は死ぬかもしれない場面で人為的に死ぬ方向へ処置をされたといえるので
そういう意味では、
動物の命に人間がどこまで関わっていいものか
という問題としてつながっているのかな。

コロの場合は手術とかで生かせる道があったわけではないらしいので
みっちゃんちの犬とみっちゃんの家族が迫られたような選択というのはなかったと思う。
もし手術って方法があったらまたそれはそれで苦しい気持ちがしたのかもしれません。
でもとにかく生きていてほしかったな。

死ぬにしても、
自然に日の光がどんどん細くなってやがて山の端に隠れるような感じで
だんだん命のヴォリュームが下がっていくような感じで
死んでゆくやり方があったと思うから、
そうさせてやれなかったのは悲しいです。
注射をされて死んでしまったというのは考えると悲しいです。

もし安楽死させず死を待ったらその間にすごく苦しんだかもしれないし、
犬だからしゃべれないから、人間は苦しさの度合いがわからない。
でもやっぱり安楽死はなるべく避けたかったな、ぎりぎりの方法だと思うからこそ
ぎりぎりまで至っていないのにそれを選択してしまったのだと思って、後味が悪いのです。


ところでみっちゃんは今子育てしているんだね。
ふしぎな気持ちがします。
わたしが思う浮かべるみっちゃんは、小学生のときの姿なのです。
まず思い浮かぶのはそれ。どんな格好かも憶えている。
ランドセルだったり
マラソン大会で赤白帽子かぶっていたり。
アルバムの写真でそう憶えてしまったのかな。
わたしも子どもがほしいので、近いうちにうみたいな!
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by writetoyou | 2007-02-27 11:19 | コロ
2007年 02月 26日

返信1 まきちゃんへ




***

飼っていた犬のコロが死んだとき
それを綴るとコメントをくれた人、
どうもありがとうございます。

***


これから
二月の前半にいただいたコメントに
少しずつですが
返事を書いていこうと思います。
もらって心に残る手紙だったのに
忙しさにまぎれて

(イソガシサニマギレテ
なんて
ほんと
言い訳以外の何物でもない言葉ですが)

返事を出さないままでいるような気持ちでいます。
ごめんなさい。



2007-02-06 00:57
「体中痛くて、自然の中だったらとっくに死んでしまっているような状態でも、
動物は命がある限り生きようとして、
そういう姿は健気で痛々しくて本当にやるせないです・・・
最後にお別れの時間があってよかった。元気出してね。」


>まきちゃん
わたしは今回、別れの時間というものの長さ・短さを感じました。
短くても、それを経ることができるかどうかで
そのあと踏みしめる大地の固さが変わってくるようなもの。
それが別れの時間じゃないかと思います。

それはずっと流れ続ける時間です。

「そこ」から「いま」に向かって
絶えず
水にこぼしたミルクのように
何かが混ざり続ける。
それが別れの時間だなあと思います。

笑っていても
歌っていても
しゃがんでいても
焼肉食べていても
コロと別れたあとのわたしの中には
つねにその別れが混ざっている気がします
(楽しいときでも
思い出したら少し悲しいし
何か他のことで悲しいときでも
思い出したら励ましになる)。

どんな楽しい気分にも
悲しみが混ざっていることは
ぜんぜん不思議なことではない。

糸を集めて撚り合わせるように
わたしができてゆく。

その糸の一本がコロだし
それがとりわけきらきら綺麗に光る糸だってわかるし
コロが死んじゃったあとでも
その糸は消えてなくなったりしないで
つながっていて
わたしを支えている。

たとえば水引細工のように
気持ちや身体というものはできていて
たったいっときの気分にも色々な糸が混ざっている

人生を終えるときにみえるものは
その無数の糸で織り上がった
トルコ絨緞のような
大きな織物ではないのかしら?

そんなふうに思っています。
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by writetoyou | 2007-02-26 22:51 | コロ
2007年 02月 06日

妹とわたし






f0117651_17291256.jpg






写真は
日曜の夜
最後にわたしがまた東京に戻るとき、
こっちを見てくれていたコロ。






ペットの死に際して
妹とわたしとで感じ方が違うということがわかった。

犬の看病をしていた妹。
わたしは東京にいたから
日曜の午後に何時間かさすったりしただけで
なにもしていない。
妹は
かわいそうだ、かわいそうだといって泣いていた。
鼻を赤くしていた。

あんなに元気だったのに
といっては言葉を詰まらせていた。

わたしはそれよりも
もうコロにさわれなくなるということを想像しては
そんなのは嫌だと思って
泣いていた。
もう家に着いても
たったったったと出てこない。
他の誰かと勘違いして
ばう
と吠えたあと間違いに気づいて
恥ずかしそうにひとこと低い声で
うう
とごまかすこともない。
脚を踏ん張って期待した目でこちらを見つめない。
くるくる回りながら足にまとわりつかない。
縁側に両手を乗せ、その間に顎を置いて
上目遣いで媚を売ったりしない。
もう、笑ってくれない
(ころは安心して機嫌がよいと口角が上がる犬だった)。

もう
撫でる顎がない。
つまむ耳がない。
さする腹がない。
つかむ腕がない。
掴む尻尾がない。
梳る背中がない。
引き綱を引いた先に感じる手ごたえがない。
ざらつきのないピンク色の舌で舐められることもない。
誤って尻尾を踏まれたときの
きゃうん
という悲鳴もない。

そんなふうになってしまう。
いまはいるのに。
今はここにいて、生きているのに。

今までずっとそうだったように
いまもわたし達に可愛がられてくれているのに、
もうそれがなくなってしまう。

犬を可愛がることは、可愛がってやるというよりも
可愛がられてもらうといったほうが正確だ。
犬はどんなときでも
こっちの気持ちが乱暴でない限りは
慰めてくれるし一緒にいてくれる。

今いるのにいなくなってしまうということがすごく嫌で、
動かなくなるとか
そしたらその体がどんどん冷たくなっていって
傷んでいく

食べ物でいうところの「傷む」
バナナが黒ずんでいくとか
梨がぶよぶよになっていくというような
そんな意味での傷みが始まって

だからその前に燃やして骨にする。

そういうことがすごく嫌だと思った。

動いていたのに。
蝶々追いかけていたのに。
雪の中ではしゃいでいたのに。

右半身が動かせなくなっても
がんが進んでいても
舌を動かして水をぴちゃぴちゃ飲んでいるのに。
箱から出ようとするのに。

それが動かなくなるなんて。体がなくなるなんて。

嫌だと思ってわたしは泣いていた。
妹は
あんなに元気だったのに
こんなに動けなくなってしまってかわいそうといって泣いていた。
妹のほうが優しいということなのかな。
妹はコロの体の苦しさを想像して泣いていて
わたしは
自分がコロをさわって話しかけてかわいがって楽しむことばかりを考えては
それがもうできなくなることを
認めがたく悲しく思って泣いていた。

また変わっていくかもしれないけれど
わたしの中での
死ぬということ・別れの悲しさは
そのひとにもうさわれないということ
なのだなとわかった。
そしてわたしにとって
いとしいということは
さわりたい・さわるということなのだとわかった。
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by writetoyou | 2007-02-06 17:29 | コロ
2007年 02月 06日

受容







f0117651_2351698.jpg







写真は昨日撮った
ちょっと疲れてぐったりしているころちゃん。
わたしはこのとき
また来週会えると本気で思ってた。
またね
またね
とわたしは言っていた。

また会える
また会えるという気持ちと
もう会えないって事実は
まったく矛盾しないで
すんなり入ってきた。

昼間
弟から
いま病院にきたと
メールをもらったときは
もう会えないんだと
悟ったように思った。

涙が出たけど
すごくよくわかった。

泣きすぎてしわしわに疲れた頭の中が
青空のように
寒いくらいクリアになった感じがした。



死んだんだなとこんなによくわかったのは
初めてじゃないかと思った。
父方の祖父が死んだときはよくわからなかった。
七歳だったと思う。

祖父が亡くなっても
二年ほどは
祖母と話す電話口で毎度
「じいちゃんに代わって」
と言いかけそうになっていた。

死ぬってよくわからない。
祖父の葬式で
死ぬってどういうことやろうと言ったら
父は
パパにもわからんわ
と言っていた。
パパ悲しいけ
ときいたら
パパだって悲しいんやぜ
と言っていた。

父と父のお兄さんとで
祖父のくるまっている
白く綺麗な布団を運んでいた。
わたしは
気持ち悪ーい
と言って後ずさりしていた。

死んでしまった祖父は顎があいてしまい、
間抜けで汚いものに感じられた。
無精髭が伸びていた。
口汚いわたしは
そのまま
気持ち悪い、怖いといっていた。
祖父の死体には触らなかった。
鼻の穴や耳の穴に詰められた脱脂綿が
皮膚の黒ずみと相まって
異様に白かった。
焼き場で死体を焼くと
あまりにくさいので
弟と駐車場のいちばん遠くまでいって
それでもくさいので
くさい、くさいといいながら
骨が焼き上がるまで遊んでいた。

祖父とは多くて年に一度会うだけで
あまり思い出もないから
疎遠だったから
いなくなっても現実味が掴めなかったのだろうか。

思い出は少なく
夏、
祖父の案内で山に入ると
祖父の作ったししおどしがあり
それをわたしと弟が面白がると
「こんなもんを面白がるんじゃの!」
と笑っていた。
あとは
ホットプレートで焼き肉をして食べた。
お風呂を焚くのに使う
薪を割っていた。
黒い容器に入った
頭皮のスーッとするシャンプーを使っていた。

それくらいしか思い出せない。

痩せた体と
それに巻きついていたずぼん。
あと白いシャツ。
そうだ、
農業をやるのに
いつもきちんと白いシャツを着ていた気がする。
(思い違いかもしれない)

あと声の感じは覚えている。
わたしたちに向かって
可愛いと思いながら
こわごわ触れようとする
そんな感じの声。
少しかすれていた。
上から降ってくるような声。

祖父は、死んでも死んだ感じが湧かなかった。
電話したら繋がる気がしていた。


けれど今日ころちゃんが死んだときは
ああ死んだんだなとわかった。
わかったのだ。

ちゃんと普段から可愛がっていて
ちゃんと会いに行って
安楽死に対しても反対して

ちゃんとアクションをとったから
たった二日間でも
死んでゆくってことを感じながらはらはらと時間を過ごしたから
ああ死んだんだってわかるのかなと思った。

身近な分だけ
死んだってわかるのかなと思った。



でも半日近くたって
また
ころがいるような気がしてきた。
またしっぽ振って
くりくりの目でこっちを見て
控えめに頭を押しつけてくる気がする。
そしてでももうそれはないんだなと思う。
それは悲しい。
泣いてしまう。

いつでもいる気がするし
そんな気がして
イメージが思い浮かぶたびに
もういないのだと思う。
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by writetoyou | 2007-02-06 02:35 | コロ
2007年 02月 05日

その安らかさ





今日実家で飼っていた犬が死にました。
もう少しくらい生きられたかもしれないけれど
ひとつの判断があり
病院で安楽死という処置になりました。

もしわたしの手元にいる犬だったら
犬本人が苦しみ過ぎるぎりぎりまで
安楽死はさせたくないけれど、
立場や考え方は人により異なります。

人間には安楽死というのは認められていないし
もし非合法におこなわれるとしても、具合のよくなる見込みがないというだけでは決断は下されないでしょう。
家族の諦めと決断には長い時間がかかると思うし
何より本人の意思が何度も確認されるはずです。

動物の場合は
健康な状態でなくなり
それがずっと続くとわかった時点で
すぐに安楽死という選択肢が出てくる
ということがわかりました。

飼い主にとって負担になる
ということがわかった時点で
大変だったら言って下さい
という提案があるようです。

先に医師からの提案があれば

医師が治らないといっているのだから。とか
医師の提案なのだからそれが良いことなのだ。とか

そう思うことが易しくなります。
振り返ったときに
お医者さんが勧めてくれたんだから、
と思うことができます。

どんな獣医師もそのタイミングでそう勧めるとは限らないでしょうが

動物の場合、
元気な状態に戻らないとわかったら安楽死というものが出てくる
というのは
珍しいことではない。

知らなかったことを知りました。


祖父母の家にいる犬もまた
同じ獣医師に
じいちゃんもばあちゃんももう年やしきついやろ
大変になったらいつでも言ってね

すでにずっと前にいわれているそうです。

その犬はゴールデンレトリバーで
老いていて元気はありませんが
病気とも違います。
ただ
いわゆる
老いていて調子のよくない状態
にいます。
人間なら
それくらいの人はたくさんいるし
そういう人を
死なせてあげたほうがいいとか
絶対にいいません。


うちのコロには肝臓がんという病気がありました。
でも昨日は
わたしの手から水をたくさん飲んでくれました。
パウンドケーキも三切れ食べてくれました。
でも今日ぜんぶ戻してしまったそうです。
でもわたしには
コロちゃんは痛くて痛くてたまらないという状態ではなかったし、やっぱり生きよう生きようという方向に向かって息をして横たわっていたように見えました。
もちろんコロちゃんは人間じゃなくて動物だから
自分がもうじき死ぬということや
できるならもう死にたいとか
もしくは絶対がんばって戻りたいとかは
はっきりとは考えないと思うけど

生き物という生き物がつねにそうあるように

今まで生きてきたから
今もまた生きて
次の瞬間も生きようとする
その感じで
生きようとしてた。

人間だってそうで
何で生きているのか
わからない。
どうしてとか何のためにと問うのは勘違い。
ただ生まれてきたから
それが終わるまで生きていくのであって
生きている途中には
目標や意義も人によりあるだろうけど
生きているという枠そのものには
意味とかはないはず。
自分の意思とは関係なく
気がついたら生まれてしまい生きてしまっていたから
生きていくのだと思う。
だから
一枚一枚
向こうの光の透けて見える布をめくるようにして
ひらひらと日々を過ごしていく。

そういう

惰性というか
放物線を描くような感じで
生き物はしぜんに生きている。

そしてそんな感じで
ころちゃんは生き続けようとしてた。

そのままだと
肝臓がんが進んでいるから
痛んで
ひどく苦しむことになったかもしれない。
そしたらそのときに
安楽死を考えたらよかった気がする。

何がナチュラルなことかといえば
それは難しい。
犬を飼っていること自体
ナチュラルじゃないとか
ナチュラルだとか
難しい。
コロは去勢手術も受けさせてあったし。
ナチュラルじゃない。
でもそんなのいったら
治療するのだってナチュラルじゃない。
そもそもナチュラルであることが善というわけでもない。
でもとにかく
何が正しいかわからないままに
物事を少しでもよくするために
ない知恵を絞って作為を施す
それは
きわめてナチュラルな営み。


でも
死ぬ瞬間を
しぜんに迎えるか
他人の意思でもたらすか
というのは
そういうレベルの話ではなくて
遥かに大きな問題だと思うから

生きているころちゃんが
ひとの意思の下に
死んだ状態に移行したということ

わたしは悲しく思いました。


いまのコロの状態が
幸せとは思えない
といったって

幸せでないから死んだほうがいい
とはいえない。


安楽死はまだやめてほしいといったら
何もしていないくせに偉そうなことを言って
と両親は怒っていたけれど
(それは小さなときから何かにつけずっと言われ続けていること)

わたしは
ろうそくの火が消えるように
コロが死んだら
もっとよかったなと思う。


わたしに何もできない
誰にも何もできない

コロは弱っている

だから死なす

というのは
ひとつの選択。

わたしがもしもっと権力があったなら
苦しそうでも
一緒に撫でて撫でて
だんだん弱っていってコロを死なせたかった。
その途中で
たまらなくなって
医師に自分から死なせて下さいとお願いしたなら
納得いったと思う。

飼い主の決心に先んじて
外側から提案される
安楽死という選択肢

コロが感じ取るはずだった死の予感に先んじて
外側からやってくる
安楽死というおしまい

先延ばしにしても結果は同じだったかもしれないけど
わたしには早過ぎた気がする
早過ぎたといっても
たった三日とか半日のフライングかもしれない。
でもタイミングがきてないのに決めるって悲しかった。

死なすってのは
どんな気持ちでするにしても
殺すってことだから
仕事のスケジュールとか世話の面倒さを総合的に考慮した上で死なすとかじゃなく
せめて
もう殺すしかなくて殺すってくらいで
死なせてあげられたらよかった。




死ぬ瞬間というのは
クレヨンでずっとずっとひいてきた線が
始まりの点に繋がって
遠ざかりながら
上空からみたら
大きな円になっているのがみえる

そういう感じだと思うから
いちばん最後の線を
意識を失いながら自分でひくってことが
だいじな気がしている。

生き物は誰でも
人生を自分で始めることができない。
気がついたら生まれてしまっている。

だから死ぬときは

あ。

ああ、



少しくらい
腑に落ちてから
死んでゆくのがいいなと
思います。
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by writetoyou | 2007-02-05 23:55 | コロ
2007年 02月 05日

天気は晴れています





いまころちゃんが病院で診察室に入っていて

屋上に続く階段にきて弟に電話したら、弟がそういっていた。
昨日触ったときころちゃんは生きていたけど今日は死体になっちゃうんだなと思った。
悲しいけどしかたがない。
ころちゃんがいてよかったなと思う。

もう死んでしまったかな。
安楽死だから痛くないならよかった。
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by writetoyou | 2007-02-05 14:49 | コロ
2007年 02月 05日

コロの現在






食べたものを朝に全部戻したらしい。
コロは犬で、男の子です。
たしか、わたしが12歳の7月あたまにうちにきて
そのとき生まれたてだったから
いまは13歳と8ヶ月くらいだと思う。

人間でいえば危篤だなんて
お医者さんがいったそうだけど
きのう
わたしの手のひらからぴちゃぴちゃ水をたくさん飲んで
ぱくぱくパウンドケーキを三切れも食べた。
右半身が麻痺しているせいか
うまくコントロールできないのだろうか
あごとあごがぶつかって
飲んだり食べたりするたびに
ぽくぽく
というかわいい音がした。
だからコロはもうちょっと生きるんじゃないかと思ったけど
でも違うのかもしれない。

うんちもしていないと父がいうが
ただの便秘だったらいいなと思うけど
そうじゃないかもしれない。

午後に病院に連れて行ってみてもらうらしい。
わたしは絶対に安楽死は嫌だと思っていたけれど
そうなるかもしれない。

どっちにしても
いまころちゃんはゆっくりと死んでいっている。
交通事故とかじゃなくて
心筋梗塞と脳梗塞と肝臓がんで
みんなの目の前と心の中で
ゆっくり死んでいっているんだなあと思う。

いまお昼休みが終わって就業中で
でも今思っていることは今しか書けないから書いておこうと思って
ワードでこれを打っているけど
ころちゃんはだいじょうぶかな。
また会いたいな。
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by writetoyou | 2007-02-05 13:15 | コロ
2007年 02月 05日

わたしの犬




あした、実家にいる犬のころが安楽死させられてしまいます。
ほんとうに悲しい。
ころのためというより飼い主の都合だから悲しいです。
富山にいたらよかった。


ころにはほんとにありがとうと思う。
ありがとう以外いうことがない。
ありがとうございました。
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by writetoyou | 2007-02-05 01:38 | コロ