カテゴリ:広島の祖母( 29 )


2007年 08月 09日

祖母のこと、家族のこと




会社の暑気払いを横浜で終えて
東京へ戻ってきて
お茶を飲んでいる間
隣りのおじさんとおばさん(お爺さんとお婆さん)が
誰々が入院しているとか
誰々は誰々に
もっとああしてやればよい
こうしてやるべきだとか
そんな話ばかりをしていて
わたしは
今年の三月に亡くなった祖母のことを
思い出していた。
悲しい気持ちになった。

品川のフレッシュネスバーガーで
あれは六月か
アボカドバナナスムージーを
ズルズルと啜っていたら
車椅子のお婆さんを乗せて
娘と思しき、もっと若いお婆さんがやってきて
ポテトやらコールスローやら何やらを注文して
二人でひっそりと食べ始めた。
それを見て
祖母のことを思い出したのだった。

そして今日
新橋でマンゴークレープを食べながら
あのとき品川にいたときも
おばあちゃんのことを思い出したな、ということを
思い出した。

「車椅子でハンバーガーショップへ」
もはや言っても詮ないことだが
わたしがしたかったのは
ただそういうことだ。

祖母は脳梗塞を患って
初期の処置が間違っていたらしく
半身に麻痺が残った
もう十年も前の話。
元気だけれど歩けなくなってしまった。
「外へいきたい」といっていた。

弟に、車椅子を乗せられる車を借りてもらって
妹とわたしと祖母と四人で
市内でいいから
どこかへ出掛けられたらいいのに
と思っていた。

そんなこと
そのままじゃ頼めないけれど
でも弟も妹も
祖母の姿を見たら
きっとそうしたいと思うに違いないから
二人ともそういう性格だから
だから一度連れていけば
二度目には実現すると思っていた。
でも実現しなかった。

弟の分も飛行機のチケットを用意したのに
いつも
試験があるとか
旅行があるとか
母親の邪魔が入ったり
(その祖母は父の母だった。
 母は、わたしがその祖母のもとを訪れることを憎く思っていた。
 夫婦で祖母に会いに行くことはあっても
 妹を連れていくことなど飛んでもないと考えていた。
 母はとにかく自分自身が可愛い人で
 父が肉親に関わることを嫌うし
 当然、わたし達子どもが
 父方の親類に興味を持つことも嫌った。
 結局、弟、妹は十年以上会わないまま、祖母は亡くなった。
 別に、母が鬼のような人だといいたいのではないし
 母を嫌っているわけでもない。
 ただそれ位、母は自分自身を何よりも優先する人なのだ)
弟本人がダラダラと何時までも予定を確定させなかったりで
祖母と弟との再会は
結局実現しなかった。

みんな忙しいから仕方ないけれど
忙しい忙しいというその用事はきっと
やりくりすれば何とかなる。
でも老人の命はいつ終わるかわからなくて
忙しいなんてことよりずっとずっと
切羽詰まっているのだ。

それから、
おばあちゃんに優しくすることが大事なんじゃなくて
自分の中に流れている何かを共に持つ人に会っておくことは
すごく面白いことなのだ。
だから弟と妹をおばあちゃんに会わせたかったし
おばあちゃんを弟と妹に会わせたかったのに
わたしにはそれだけのことを整える実力がなかった。
母の圧力など無視して
無理やりセッティングすればよかったのに。

わたしはそれをとても後悔していて
今でも全然後悔していて
きっとずっと忘れないと思うし
何か迷ったときには
この後悔を思い出して判断すると思う。

おばあちゃんは最後に会ったとき
ぼけていて
うちのお父さんが富山にいることも
寿司屋をしていることも
忘れていた。
息子には、きっとずっと
昔のまま
京都で銀行に勤めていて欲しかったのだ。
富山は母の地元だ。

母は父を自分の手元に縛り付けておきたくて
子ども達を姑に会わせまいとしたし
祖母は祖母で
父をいつまでも
自分の手の届くところに置いておきたくて
記憶がすり替わった。

このエゴを愛と呼ぶんだろう。
わたしの中にも有り余る程のそれはあるけれど
わたしはなるべくみんなに優しくしたい。

けれど破壊的でむきだしのそれの強さは凄い。
愛というエゴと
「みんなに優しく」とか
「相手の気持ちを尊重して」とかいうのは
多分、矛盾しあうもの同士なのだ。
あんまりうまくいえないけど。

愛は誰かのためだといいながら
ほんとは自分がそうしたいだけのものなんだと思う。

母はわたしにも弟にも妹にも
絶対に残すことは許さずに
大量の食事を来る日も来る日も作り続けた。
体調も好みも関係ない。
残すことは不可能だった。
それが母の愛のあり方だったのだ。

母は安い菓子やプリンやヨーグルトを
スーパーマーケットで大量に買い込んできては
ぱんぱんに詰まった冷蔵庫を眺め、こういっていた。
「食べ物がたくさんあるのを見ると、安心するわ」

母は素直ではない。
「ありがとう」や「ごめんなさい」をいえない、困った性格をしている。
たくさんの食べ物が、母にとっての愛のしるしなのだと思う。

父は
思春期を迎えたわたしの体形が
ふっくらしていくことを
認めがたかったのか
「痩せろ、痩せろ」としきりにいった。
ダイエットの方法やカロリー制限について
とうとうとわたしに語った。
わたしはそれをききながら、とても胸の中で苦しかった。
いっしょうけんめい体を動かしたし
なるべく野菜しか食べないようにした。
でもお腹は空くし、生理は始まるし、胸はふくらむし
そんなのやめたいと思ったって成長は止まらない。
中学一年生の頃のことだ。
できれば変わらずにいてあげたかった。
痩せようと努力はしたのだが、体はいうことをきかなかった。

父はわたしを可愛がっていた。
生まれたときから可愛がっていた女の子が、急速に
それまでとは違った方向へ変化していくことを
父は受け入れられなかったのではないかと思う。
父はわたしに失望していた。
「父の知っていたわたし」は壊れてしまったのだと思う。
がっかりされているのがよくわかった。
とても悲しかったけれど、どうしようもなかった。

大量の食事を食べさせようとする女性と
努力すれば痩せられると説得を試みる男性とが
家の中にいた。

間に挟まれてか
(わたしにも問題があったのだと思うが)
わたしは摂食障害になり
夕食を大量に食べては戻すということを
七年ほど、律儀に続けた。
残暑の厳しいある日、両親はわたしを病院に連れていく。
それから四年ほど毎週通ったが
病院へ向かう車の中はほんとうに息の詰まる思いだった。
かなり遠かったのだ。

今思えば、評判のよいからというだけでなく
市内では誰かに知られるおそれがあるために
わざわざ車で片道一時間以上かかる
あの病院を選んだのだろう。
(結果的にその病院だったことは、わたしにとってよかったと思う)

当時のわたしは、
吐くことが前提でだが
二十代男性の食べる七人分は優にこなせたと思う。
食べてはいけないと強く思っていたし、
食べたくて仕方がなかった。
食べたいということと痩せなくてはいけないということでいっぱいで
頭がおかしくなりそうだった。
実際、おかしかったと思う。
遙か遠いことのように感じるとともに、
今でも生々しく思い出す。

さいわいわたしは現在、健康だが
いまいち体力がなかったり
線の細い印象を持たれるのは
体を作るべき時期に
そんなあほなことをしていたせいだろう。
あほとしかいいようがない。

わたしは子どもだったのだ。
もっと自分で自分を大事にできるだけ大人だったなら
吐いたりしなかったし、親にも迷惑をかけなかった。

でももしあのときのわたしと似たような人に会ったら
いつまでも話を聞いてやりたいなと思う。
若いということは
やはり
色々と力が足りないのだ。
言い返す力、
嘘をつく力、
うまくやっていく力がまだついていない。
未熟だからといって何でも許されるわけではないけれど
未熟な人には安心できる場所が必要だ。
そうでないと成長できない。

わたしは、通っていた病院での
先生も臨床心理士の先生も
とてもすきだった。
二人だって人間だから
欠点もいっぱいあるだろうが
少なくとも職業人として
わたしの前では、何といえばよいだろうか、
藁のクッションのようなイメージで存在していた。
素朴だが十分にあたたかい。

わたしは大学を卒業せねばならなくなり
仕事として何をしてよいか決めかねて
そういう、心療内科の仕事がやりたいなと思って
大学院へいこうとしたけれど
モヤモヤしたまま試験を受けて落ちて
仕方なく
すごくいい加減な気持ちで今の会社に入って働きだして
失敗したとすぐに思った。
次に入る会社も、
ものすごくやりたいことというわけじゃないが
(そもそも会社員というのは何か違う気がする)
今よりはモチベーションを保つ条件は揃っていると思うし
何より、自分で自分のことを
前よりわかるようになった上で転職活動をしたのだから
今より悪い結果にはならないと思う。

とにかく今晩は
新橋の喫茶店でお茶を飲みながら
おばあちゃんのことを思い出して
なんか泣きそうになった。
(泣きそうになるのは嫌な気分じゃない、
 ちょっと気持ちがいい。
 そして悲しい)
家族のことも考えた。
家族について考えることは
わたしについて考えることだった。

でも考えたといっても
そのときわたしは
部長と向かい合ってお茶を飲んでいたわけで
隣りの老夫婦をちらりと見遣った瞬間に
ぱっと降ってきたことを
あとからしわくちゃの紙を丁寧に延ばすように書いていくと
結果的にこんな内容だったというだけで
ずっと深刻に考えていたのではなくて
ケーキとクレープをむしゃむしゃ食べながら
ふたりでとりとめもなく喋っていた。

考えながら、話しながら、食べながら、
どうにもお腹が痛くて気になってトイレへいくと
まだこないはずなのに
生理が始まっていた。

気づかなかったのが間抜けなくらい
すでに大量に出血していた。
ジーンズだったなら
外から見てわかっただろうというくらい。
黒いパンツスーツでよかった。
もう生理になるようになってから十数年経つのだ
始まったらその瞬間に、あ、とわかるものなのに
気づかなかったのがふしぎだった。

血が流れて納得した。

「水に流す」という言葉があるけれど
毎月血を流してそれが水洗トイレで
ひゅーって
水と一緒に流れて吸い込まれていくのを見るとき
なにかを水に流している気が、確かにする。
今日もきっと
たくさんの滞っていたものを流し出したのだと思う。

今日その店で飲んだのは、おいしいお茶だった。

アールグレイを飲んだあとに
飽きたらずダージリンを頼んだくらい。

アールグレイのほうが随分とおいしかった。
メニューでもアールグレイがいちばん上に書いてあったから
自信があるのだろう。
また飲みたい。


こんなに長く書いてしまって、
いったいどうしてしまったのかと自分で思います。
恥ずかしいけれどこれも記録になると思うので、消さないつもりです。
最後まで読んでくれた人には感謝します。
告白しているつもりはないけれど、そう思われても仕方のない文章で
何かを告白する文章というものはうざったいものだから
最後まで読んでくれた人には、ありがとう、と思います。
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by writetoyou | 2007-08-09 00:22 | 広島の祖母
2007年 03月 23日

軌跡





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これは、お葬式の翌日の朝日。
お葬式の朝より早く目が覚めた。
朝のうちは晴れでなく曇りだったので
眩しいということはなかった。

船が次々と行き交う。
同じ東向きだけれど
昨日と違う部屋だから
見えるものも違う。

船の通るあとを見ていた。

船の通ったすぐあとは
白くて力強い泡と波が立っているけれど
遠ざがるに従って
弱まり薄くなる。

思い出とか死んでしまった人もそんなものかなと思った。

遠くなるにしたがって
薄く淡くなるし見えづらくなるけれど
広がって心の深いところに散らばる。
何に触れても
その思い出とか亡くなった人が
目を凝らせば見えるようになる。

あれもこれもつながっているというふうに。
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by writetoyou | 2007-03-23 17:34 | 広島の祖母
2007年 03月 23日

朝日





眩しくて眩しくて
目が覚めてしまった。
妹も眩しがっていた。

眩しいだけでなく
暑かった
(たぶん
それは暖房のせいだけれど)。



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これは
お葬式のあった日の
朝の光。


妹はしばらくして起きて
髪を整えたりしていたけれど
わたしは
自覚はないけれどきっと体は疲れているんだろうなと思ったから
なるべく長く休みたくて
窓に背を向けて
眠ろうとして
うとうとして
寝たのか
寝ていないのか
わからなかったけれど
時間がきて
起きました。
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by writetoyou | 2007-03-23 17:29 | 広島の祖母
2007年 03月 22日

浴室 (ホテル)





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この写真はお葬式の終わった夜
ホテルでようやく一人になったところ。

さびしくてさびしくて人に頼りたいので友達に電話する。

自分の中にいっぱいになっているのは怒りと疲れで、整理がつかない。
渦を巻く水みたい。
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by writetoyou | 2007-03-22 15:15 | 広島の祖母
2007年 03月 22日

車椅子も







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お葬式の次の日に
施設にきて要らないものを処分した。
要らないものばかりだった。
だって使う人がもういないから。
そっか、と思った。

ものが要る要らないというのは
使う人がいて初めて成り立つ話だった。

車椅子も要らないけど
誰かが使ってくれたらいいな。
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by writetoyou | 2007-03-22 14:29 | 広島の祖母
2007年 03月 22日

ものを取りにいくと







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お葬式の終わった晩に施設にいくと
おばあちゃんのいた部屋にはもう
違う名札が入っていて違う人がいた。

おばあちゃんのものは洗濯ものの干してある物置みたいなところに纏めてあったので
写真は、それを教えてもらったところ。
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by writetoyou | 2007-03-22 13:57 | 広島の祖母
2007年 03月 22日

出棺







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先程東京に帰ってきました。

写真は、昨日の出棺のときのようす。

よい天気でした。
お葬式は
斎場の人、焼き場の人の手はずでどんどん進んでいきます。
時間は戻せなくて
おばあちゃんを
見ることも
触ることも
ああもうできないんだ
と思うのに、
大変大変!
と思うのに、

どんどん進んでいって
ちょっと待ってと思うけれど
止める訳にもいかないし

もしタイミングを自分で決められるなら
もう少しもう少しと先延ばしにしてしまって
決められないから

他人が決めてくれて
どんどん手順を進めていってくれるのは
必要なことなのだろうな、とは思った。
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by writetoyou | 2007-03-22 00:40 | 広島の祖母
2007年 03月 21日

京都







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写真は京都タワーです。
よく晴れていました。


広島から帰る途中
京都でいちど降りて
友だちに会いました。

急に呼び出したのに来てくれて
アトムの像の下で
会った瞬間に
とても嬉しかったです。

急だし
自分じゃよくわからないけれど
わたしは今きっと疲れているし
途中で立ち寄るなんてやめたほうがいいのかな
早くうちに帰ったほうがいいのかなと
考えたけれど
でも
会いたい人には先延ばしにせずに
機会をつかまえては会ったほうがいいと
コロも死んで
おばあちゃんも死んで
いまはほんとうにそう思うから
京都にきました。


会ったらすごく嬉しくて

お昼がまだで
お腹が空いていたので
一緒にささみのチーズ挟み揚げを食べているとき
左隣りに座るその友だちから
みえない黄色いキラキラした元気が
わたしに流れ込んでいる気がしました。

友だちは健やかそうで
お肌もつやつやと綺麗で
体型が前より随分ほっそりスマートになっていて
きれいになっていた。

何より
しっかりしていて気配りのあるところが
久しぶりに会うと
たいへん強く感じられて

しっかりしているって
すごく頼もしくて
魅力的なことだと思いました。

祝日の京都駅は
たいへん混雑していて
賑やかで
お年寄りも元気で
活気がありました。

京都駅も伊勢丹も
新しくなって十周年だそうです。

その友だちには
もともと会いたい会いたいと思っていたのですが
今日会えて
わたしにとってすごく魅力的なのを再確認して

近いうちに
京都のためだけに京都に来て
ゆっくり会いたいなと思いました。

友だちを待つ
二時間程の間
富山へ乗り換える父を見送ったり
クロネコヤマトで箱を買って
増えた荷物を東京に送ったり
祇園小石の飴を買ったり
新幹線の切符を買ったりして
そのあと
ベンチに座ってぼーっとしましたが
そのとき
いまはぼーっとする時間が必要だなと思いました。

ぼーっとしてられてよかった。
友だちに会えてよかった。

別れしなに
おばあちゃんの日記の話をしたら
涙ぐんでくれて
共感してくれる人がいて嬉しいと思いました。
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by writetoyou | 2007-03-21 18:11 | 広島の祖母
2007年 03月 21日

日記帖



祖母の施設にあった荷物を片づけてきました。

大半は捨てることにして
衣類やタオルなど、
段ボール箱に入れて
あとは
テレビ
ベッド用の机(介護用品と思う。普通には売っていない)
車椅子
を置いて
父が施設の人に
処分料一万円を払いました。

テレビと机と車椅子は綺麗なので
誰か使ってくれるとよいなと思います。
施設の人にいうと
そうさせてもらうというような返事だったので
そうなるとよいです。

荷物のいくらかは
おじさんがもう昨日持ち帰っているので
どうなっているかわからなくて
ただ
そこにあった手紙や手帳などは
もらってきました。

することがなくなってしまい
さっき切符を買って
新幹線に乗りました。
今日は春分の日のため
役場や病院が休みで
手続関係は何も進まないとわかったからです。


日記帳は
手伝いにきてくれた
親戚の
ネコモトさんの車に積むときに
施設の前の道の上で
チラリとみて
これはもらっていこう
と思ったのですが

新幹線に乗ってから読むと
わたしのことや
妹や弟のことがたくさん書いてあって
泣いてしまいました。
わたしはともかく
おばあちゃんは
弟、妹とは
結局十五年程
会わないまま
亡くなってしまいました。

わたしが遊びにいって
帰った日のところには
サミシイ
と書いてありました。

それからハガキもたくさん出てきて
わたしの送ったものが大半で
わたしはいろんな場所から
たくさん書いていました。

おばあちゃんが
わたしと妹、弟に出そうとして
出さなかった年賀状も出てきたので
それももらってきました。

父が隣りにいるので
あまり父の前で泣きたくないから
顔を反対に向けて
瀬戸内の
なだらかな山と
おだやかな海を
ずっとみていた。

そうしたら
窓側の
右の目からだけ
涙が出て
ツー
と頬を伝う。

幾筋も幾筋も涙が垂れてきて
ずっと止まらなくて
隣りのおじさんは

(三人掛けの
通路側に父、
真ん中にわたし、
窓際に知らないおじさんが座っていた)

iPodで大きな音量で音楽を聴いていたけれど
そっちを向いてわたしは
たらたら涙を流していたので
迷惑だったと思います。
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by writetoyou | 2007-03-21 14:45 | 広島の祖母
2007年 03月 21日

元気







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もりもり食べています。
わたしなりにお精進
(肉を食べない)
をしてみています。
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by writetoyou | 2007-03-21 09:01 | 広島の祖母