いつか書く手紙

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2006年 12月 31日

年が暮れる






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年末の風景は
いつでも心がざわざわする。


ときめくという言葉は
あまり使わない言葉で
わたしにとって
冗談のように響く言葉だけれど
もし
ときめくものを挙げろといわれたら
いちばんの答えは
年の瀬
だと思う。

他に浮かばない。
あとのものは
わからない。


好きな人ができても
そのときの状態が
ときめく
かといえば
そうではない気がする。
しっくりこない。

すごく美味しそうな料理が
湯気を立てながら
目の前に運ばれてきたとき
それもドキドキはするけれど
それが

ときめく
かというと

違う気がする。




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料理を前にしたときのドキドキは
在処がわかっている。

お腹が空いているから
体が欲しているから
そして
それを満たしてくれるものがそこにあるから。


食事の高揚も
恋愛の高揚も

欲しいということ
欲しいものがそこにあるということ
そしてそれは手に入りうるものだということ

そういう要素からできている。


ときめくというのは
もっと

得体のしれない
実利を離れた高揚感

じゃないかと
思うから、
食欲も性欲もあてはまらない。


もっと妖しい
もっと魔力のある感じ。


薄い紙を通して
向こう側を見るとき
向こうにあるものは
同じもののはずなのに
微かにどきどきするような
そんな
はかない高揚感が
ときめきという言葉の
指すものだと思う。

はかなくて
実がなく
人を惑わせて
とろけさせる
装置というか
仕組みを
内側に備えているもの

それがときめき。


年の瀬はそう。
まさにそう。
冬至もそう。

冬至は
一年でいちばん日が短く

すべてのものが

鳥や
裸の木や
裸の木に僅かにひとつふたつ残る
熟れ切った柿や
枯れた蔓についた
オレンジ色の
丸い烏瓜
藪の狐
空を切る雁

それらの生き物たちが皆

息をひそめる日。


生き物に限らない。
山や川や空もまた
息をひそめる日。

それが冬至で
つまり

皆が皆
生きながら死を思う日。
敬虔な気持ちで
太陽に感謝する日。
厳かに
いまここにいないもの達に
思いを馳せる日。

そして
太陽は美しく
その光は
故意にかと思う程
弱い。

いつもあたりまえに
そこらじゅうにあふれていて
誰も気にとめはしないから
光の粒達は
薄く少なくなることで
皆に気づかれるように
仕向けているのではないかと
そう感じるほど
冬至の日の
光は
弱い。

朝起きてまだ暗く
夕に気づけば既に暗く
シンとした気持ちがする。
そして嬉しい。


寒くて暗く
身体が
ほら穴に入りそうなくらい
縮こまる日。

そして
太陽の暖かみが
いつもの何倍もに感じられる日。

縮んだ身体をまた
明日から伸ばしていけると感じる。

短い日も
明日から長くなっていくと感じる。
すごい。素晴らしい。

生きたまま
死を体験し
生きたまま
生まれ変わる。





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死と再生を
太陽に合わせて
しるしをつけると
冬至になり
同じことを
人間の暦でやるのが
年越しなんだろう。



年が暮れて
年が明ける

その表現は
一日と同じ。

日が暮れて
夜が明ける

というように。


一日一日
太陽が隠れては
再び現れることに
なぞらえて

一年という区切りを
わたし達は
とらえている。

そのことを
暮れる・明ける
という表現から知る。





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年が新しくなる。
わたしの身体も
一部は死に
その端からまた新しく生まれ
(たとえば
髪が
抜けては
また生い
ぐんぐん伸びるように)
過ぎた年を受け継ぎながら
同じひとつの身体として
この
いま書き記している
(携帯電話端末で
文字を打ち込んでいる)
わたしを
乗せて
身体は
年を越えて
生きていく。


新しい年に
よろしく

新しい身体に
よろしく

いま目の前にいる
新しい妹に
よろしく

そういう気持ち。


すべてのものが
古くからの形を
引き続き
引き継ぎながら
新しくなってゆく
新しくなり続け
連続してゆく
そのことが
可愛く
いとしくて
よろしく
と言いながら
目を閉じて

おとづれる新年に
耳を澄ます。
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by writetoyou | 2006-12-31 23:45 | 季節のうつろい
2006年 12月 27日

拾う






今日
仕事中
新宿から
横浜への
電車の中
ポーチを拾って

それが
可愛い
幼い
絵柄だから




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小学生のかな
なくしてかわいそう
届けよう
と思ったんだけど



中身は
飴かな
飴じゃないな
サプリメントかな
サプリメントじゃないな

かさかさして
柔らかい
まるで
たくさん集まった
コンドームみたい

と思って
開けたら


たくさんのコンドームで
うろたえて
すぐ閉じた。


何だった?
お菓子だった?と
一緒にいた
係長が
きくから


はいそうでした
と言った。



拾ったポーチに
コンドームがぎっしり

笑い話だし
ふだんなら平気


ほんとなら
たぶん笑うんだけど


その係長は
わたしの予想では
一度も女の子と付き合ったことがない人
だから
この出来事をこの人と
笑いあえるかどうか

つまり
無理せず共有できるかどうか
について
瞬間的に
不安になり


そのせいで
わたしはうろたえました。




中学生だった頃
弟や妹の前で
生理用ナプキンを
絶対みせたくなかった

あの
せつなさ
くるしさ
はずかしさ
かなしさ

を思い出した。



とにかく
狼狽を覚え
アワアワして
これ届けなくちゃ

いって
バッグにしまいました。



そしていまもそのままあります。



あとから部長と
スターバックスで
コーヒーを飲んだとき
話して





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そのときは
たくさん
笑った。




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だって
やっぱり
外で
コンドームをいっぱい拾うのは
可笑しな
出来事。


部長に
話しながら

いっぱい持ち歩くってことは
毎日仕事でやるとか
好きな人とだけやるわけじゃない人で

ということは
なくすと困るから
困ってんじゃないかしら
とか言ったけど
(ほんとにすきな人となら
子どもができても
何とかなるし
よく知った人となら
病気をもらうってリスクも
低い)


そして
会社に帰ってから
自分の机で
ふたたび
あけたら

12個入っていると
わかって
箱で買って
そのまま
移し替えたんだ
と思った。

そして
ふつう
1日に12個も使えない
と思うから
持ち主は
中学生とかで
家に置いておくのが嫌で
持ち歩いているのかもしれない
と思った。

でも中学生なら
あまりお小遣いがたくさんなかったら
買ったばかりでなくしたら
また買うのが億劫になるんじゃないかと
すこし心配する。


今また
電車の中なんだけど
みたび開けると
個包装に
男性側
と印刷してあるのに
気づいて
おもしろい。

ソトガワ
ウチガワ
とか
ウラガワ
オモテガワ
とか
いろいろ
言い方はあるのに。

男性側なら
その反対側は
女性側か

と思うと
コンドームは
こっち側とあっち側の

隔て
だなと思いました。


そしてまた
男性側と書くということは
このコンドームを
企画・開発した人は
このコンドームを
男女にしか使ってほしくないと
無意識に
アピールしてしまったのかな
と思いました。

男男とか
女女とか
そのほかとか
いろいろそんなふうに使う場合も
あると思うけど
そういうときには
男性側という表示は
意味がなくなる。

表側裏側とか
外側内側とかは
コンドームの形状によって
規定されていますが
男性側というのは
そのコンドームを使う人の
使い方によって
初めて決まることなので
ちょっと意味合いが違う。


でもたぶん
ただ親切で
その表と裏を
わからない人がいるから
男性側って
書いたんだと思うけど。



今日はひどい雨で
困りました。
残業して
会社から
駅まで
わずか
四分のあいだに
びしょ濡れ。
靴も新しいのに
中に水が入った。

あしたは晴れたらいいな。

いま
自宅の最寄り駅まで
帰ってきて
雨がやはりひどく
困っています。


このポーチは
届けるのも恥ずかしいし
落とした人も届け出ていないと思う。
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by writetoyou | 2006-12-27 00:30 | 移動中に
2006年 12月 24日

メリークリスマス






地下鉄駅を
地上へ駆け上り
交差点から急いで
ヒルズを抜けて
けやき坂を歩く。




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あまりに人が多くて
まるで
いつもと違う場所に来てしまったみたいだ。


六本木ヒルズから
東京タワーを眺める。





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午後七時前には
凄い人出だったのが
店を出て
九時半を過ぎると
いくらか和らいで
それでも平生に比べると
歩きづらいほど人がいた。


東京タワーは

灯りが消えては
下から順に
ゆっくりと点っていく

というのを
繰り返していて

それは
海の中の夜行虫とか
ホタルイカや

そんな感じで

ゆっくりと
乱れずに
呼吸するような
リズムで

明滅していた。


でも
蛍や夜行虫は
青白い
光。

意志の入らない

冷たいというか
化学的というか
定めのような
光。


翻って
東京タワーの明かりは
黄色く
赤く
あたたかく、

それを目印にするための光。
それを指差し合い
人が語らうための光。

あたたかい
人による
人のための光。





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みんなに
メリークリスマス。

クリスマスを
わたしは
上京してきた妹と
暮ごしています。
とても楽しいです。

寝不足気味だけれど。





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by writetoyou | 2006-12-24 01:52 | 季節のうつろい
2006年 12月 22日

冬至の空







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今日は
冬至で
お昼ご飯には
柚子湯がついて
のむと
あたたかい。

短い日が
いとおしい。
惜しい。
あたたかい。
弱くてあたたかい。
四時半なのに暗い。





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ふだん
一年
照ってくれて嬉しい。
おひさま。





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by writetoyou | 2006-12-22 16:38 | 季節のうつろい
2006年 12月 21日

マジック (六本木)




おとといの
夜のはなし



アルバイトをしていたときの客と
会って飲み

二軒目で
クローズアップマジック

お店
にいきました。
(六本木)


目の前で
ひいたカードの目を当てたり
グラスの底からコインを出したり
してくれるやつ。


アルバイトをしていた頃
よく
話にはきいたけれど

お店で見るのは
初めてだったので

見られて嬉しい。


初めてのものを
体験できるのは
好きだし
嬉しいし

だから
初めての場所で
かつ
快適で楽しいところに
つれてってくれる人も
その意味で
好きです。

他の部分では
嫌なところもあったとしても
少なくとも
新しくて快適で楽しい場所を
教えてくれる人は
いいなと思う。



快適というのは

食べ物や飲み物なら
不味くないとか

空調なら
寒くないとか
加湿してあるとか
たばこの煙がすぐ吸い込まれていくようになっているとか

トイレなら
きれいで
あぶらとり紙とかも置いてあるとか
照明も気をつけていて
実際より綺麗に映るような
自惚れ鏡が置いてあるとか

店全体でいえば
混みすぎないけど
埋まっているとか

そういうのが
「快適」
です。



特に
トイレというのは
大切だと思います。



トイレにいって
鏡をみて
その人が

わたし今きれいだな


思えるようなお店なら

そのお店は
はやると思う。

反対に
わたし今疲れてるな
とか
もう早く切り上げたいな

思ってしまうお店だと
ほかに見所がないと
はやらないと思う。

料理がおいしいとか
素晴らしい従業員がいるとか
安いとか

何かないと。



トイレにいったときに
女の人が
多少うっとりできて
今夜も
もう少しがんばろうかなと
思えるお店なら

他の要素において
抜きん出てはいなくとも
及第点でさえあれば

はやると思います。



一般化は
あぶないけれど

女の人は
好きな男の人にじゃないと
綺麗とか可愛いとかいって
ちやほやれても
多分
心には響かない。

それは男の人でも
そうかもしれないけど、
でもわたしは
誉めてほしがりや

男の人

たくさん会ったことがある

お金持ちでも
年をとっていても
社会的地位が高くても
それでは満足しないのか
それとも自分の偉さを確かめたいのか
だだっ子のように
「すごいね」といわれたがる人たち
がいる。

男女で
虚栄心の
種類というか
色が
違うのかなと
感じています。


女の人にとっては
おせじなんかより
鏡をみて
じぶんもなかなかだわ

思えることが
さらにその人に
輝きを与えると思うから
自信や
自己愛や
自意識や
謙遜が
健康的なバランスで
混ざり合うことが
大切で

素敵な感じに
姿を映し出してくれる、
そういう鏡がある
というのは
とても大切なことで

感じの悪いお手洗いで
自分の姿をみたら
わたしこんなところで
何しているんだろう?
と思ってしまって
気分がくすんで
顔つきや肌も
つられて
くすんでしまうから
きれいなトイレ
きれいに映してくれる鏡
は大切だし

そういうところに
連れていってくれる人は
その意味で
好きです。
もちろん
他の意味で
嫌いなこともあるけど、
その意味では。




広げていうと、
誉め言葉やおせじを
与えてくれるのではなしに
自分自身のことを
ちょっと好きにさせてくれるような
そういう瞬間を
与えてくれるような
人のことが
好きです。
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by writetoyou | 2006-12-21 11:23 | 東京
2006年 12月 19日

寝たままで





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ゴロリとしているところを
撮ってもらいました。
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by writetoyou | 2006-12-19 00:24 |
2006年 12月 18日

忘レる




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写真は
ゲルマニウム温浴で汗をかいたあとと
やけに赤く、ずっと遠くまで見渡せた空



最近心が乱れていたので
こういう
日記などを
書く気が
起こらずに
しばらく
休んでいた
けれど

よく休んで

今日は気分も
よくなったから

書きます。



やはり睡眠は
とても大切で

足りなくなると
ちゃんと考えられないし
心というか
脳というか
体というか

だけでなく

全体的に
疲れがきます。

胃とか
腸とか
肌とか
表情とか
言葉遣い。



三週ほど前から
会社の人たちの名前が
思い出せなく
なってきていて

呼び掛ける前に
ワカラナク

二秒ほど
迷います。

音声では
思い出せないから
その人の
名札か名刺を
思い出すようにして

つまり
視覚的な要素

具体的にいうと
漢字

を思い浮かべてから

それを読む
ようにしています。



椅子を
くるりと
回転させたら
そこにいる
お姉さん

「よしざわさん」
なのに

それがわからなくて

「よしざわさん職印お願いします」

という台詞が
出てこなくて

くるりと
椅子を回転させて
振り向いてから
ぐっと
胸に力を込めて
「吉澤」
という名札
を思い浮かべ

それを心の中で読む

「よ・し・ざ・わ」

そうしてから

「ヨシザワサン職印お願いします」

と口に出して
書類を渡す。


ハラハラする。
ヒヤリとする。


すぐそばには
オザワさんも
ユザワさんも
いるのです。


今まで
間違えていないのは
運がよいから

だけで

綱渡りだと思います。



普段接してはいても
身近ではない
ということなんだろう。

愛がない。
愛着がない。


たとえば
友人
キダくんも
ミフネくんも
出会って
まだ
何度かしか
会っていませんが
間違える
なんてことはない。

疲れると
愛着の薄い相手から
呼び掛け方を
忘れていくんだろうか。


先週は
いよいよ
一般名詞が
書けなくなり
メモにも
書き間違いが多くなり

ついには
他のビルに
入館するときに
帳簿に
自分の所属する
会社の名が
漢字で書けなかった。

へん

つくり
色々あるけど

組み合わせて
ありもしない
漢字を書いてしまう。



ああ。


でも
大丈夫。


おとといは
昼の十二時半まで寝ていて
起きてから
神保町へいき
お茶を飲みました。

そして
湯島へいき

天神下
「つる瀬」

玉子雑煮
からみ餅
クリームみつ豆
を食べ

錦糸町へ移り
ゲルマニウム温浴をして

(ゲルマニウム温浴というのは
座ったままの体勢で
腕と膝下を
お湯を張った洗面器みたいのに
漬けて
じっとしているというやつで

とにかく汗が出て
サウナのような頭痛はしない。

高校時代に
机に突っ伏して寝るような体勢です。

ただ
手を入れる水槽があるのと
足もまた水槽に入っている点が
違います)

汗をだらだらかいて
ゆでたまごのように
ツルツルになり

そのあと
妹に
クリスマスプレゼントに
鞄を買って

(妹が
可愛いとほめていた
わたしの鞄の
同色
型違い
を買う)

うちへ帰る。

夜には寝て

日曜には
夕方四時まで
起きなかった。


だから
たくさん寝たから
大丈夫です。


土曜日には
お餅を六個食べたわけだし
日曜の夜には
新宿「つな天」で
上天ぷら膳を
いただきました。


よく寝て
食べたから
だいぶ
健やかになりました。



ところで
神保町で
二十分ほど
話した相手とは

心の通わなさ具合というか

妙な遠慮なのか

それが
遠慮なのか
好悪なのか
わからない

その不確かさ

そのよくわからなさ
を互いに確かめた

というか
その人が
いつも見せてくれる
遠慮の型が
わたしはやはり
わからなくて
寂しい。
申し訳ない。
戸惑う。

もっとフィットできたら
もっとその人にとって
リラクシングでいられたら

と思う。

リラクシングでいられたら
というのは
わたしが
リラックスさせてあげられる存在であったら
ということ。


悲しい。


リラクシングでいるということは
けして無理ではないつもり、
他の人に対しては。

ちょっと悲しい。


でも
てんぷらを

舞茸
イカ
白魚のかき揚げ
小エビのかき揚げ
海老
ピーマン
穴子
茄子

たくさん食べたから
だいじょうぶ。

しっかり食べて
寝ていたら
ありがたい。

食べられるって
安心。

がんばろう。



ところで吉澤さんは
今日
体調が悪いとのことで
お休みだった。

「おだいじにして下さい。」

そしてお元気になったら
変更契約書があるので
職印をお願いします。
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by writetoyou | 2006-12-18 21:52 |
2006年 12月 13日

雨の中、柔らかに




今日は雨です。

昼間は暖かかったのに。



とりわけ
あたたかな雨

といえば

「雨 柔らかな雨
薔薇の芽に降り注ぐ。
濡れながら蕾の赤
けぶる中にたたずむ。」

という詩が思い浮かびますが
こんな詩はなく
わたしの心の中で
そう浮かぶだけのデタラメで
元は
有名な短歌です。

「五寸伸びたる…」
というやつ。

国語

教科書
に載っていたから
きっと皆知っている。

ねえ、知っていますか。


あと
「柳青める…」
というようなのも
同じページにあった。


耳につく歌の
さびが頭の中を
くるくる回る
けれど歌詞を思い出せなくて
適当に歌う
そんなふうに

詩や短歌も
暗唱できなくて
適当に思い浮かべてしまう。



あとで調べたら
正しい歌を載せます。
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by writetoyou | 2006-12-13 18:13 | 季節のうつろい
2006年 12月 09日

デートする




ボーナスが出たので
今日は
いつもお世話になっている人に

お昼を奢り
映画を奢り
コーヒーと
クレープを
奢りました。

とても喜ばれて
意外な程でしたが

親が
働きだした子に
奢ってもらうのも
もしかしたらそんな気持ちなのかなと
思ったりしました。

遅いけど
いまから
お風呂に入って
上がったら
お酒を飲んで
キムチ鍋をします。

雨で
とても寒かったけれど
いい日でした。
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by writetoyou | 2006-12-09 23:21 |
2006年 12月 08日

森鴎外の『雁』





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昨日
『雁』
を読みました。
森鴎外の小説です。

彼の
代表作
として挙げられる
小説ですが

昨日
初めて
通して読みました。

とても面白かったです。

終わりまで読んで
もっと長くてもよかったのに
とさえ思いました。

そう思える読書は
幸福な体験です。
とてもおいしいお酒や
菓子や
とてもきれいな景色に
出会うことのように。

よくある形式ですが
語り手である
かつて東京大学医学部に通っていた男
(自然、
これは鴎外自身なのだろうな
と思わせられます)

当時遭遇した
珍しい話を語る
というかたちで
物語が進みます。

物語が進むと
語り手の一人称がみえなくなり
読む者は
空中から登場人物をみているかのような
気分になってきます。
映画や何かでも
よくあるやり方です。
例えば
『タイタニック』なら
冒頭、
老婦人が
若き日の恋を回想する。
その回想が
映画の幹にあたる部分です。

ですが観ている人は途中で
それが老婦人の回想である
ということを忘れます。
なぜなら
老婦人が画面から消えてしまう
からです。

映画の中で
物語を語っている「時」

現代
語られている「時」

過去
なのですが
観ている人は
そんなことを忘れて
沈みゆく船
引き裂かれる人々

その場に遭遇しているかのような気持ちで
見守ります。

ですが最後に
回想を終えた老婦人がふたたび映り
観る者は
時間をいっきに引き戻された思いがします。

夢から醒めたような思い。

その、よくあるやり方で
『雁』も書かれています。

わたしは
ページが残り僅かになり
語り手
である
元大学生

ふたたび登場すると
そいつを疎ましく感じました。

もっとずっと
物語を聴いていたかった。

この小説では
高利貸の妾になってしまった女・お玉
が主人公なのだと思いますが

読んでいるうちに
お玉ばかりを見ていたい
という気持ちが強くなっていきます。

なぜか。

お玉が
「いい女」
なのです。

お玉は
自分の旦那になった男・末造

触媒
として
世間知らずなままに
色気や
賢しさや
心を隠して表情をつくることや
わざとほんの僅か粗野に振る舞うこと
割り切り
世間づきあい
などを
急速に身につけていきます。

妾になって
彼女は変わる。

正確にいうと
妾になっても
彼女はうぶなままでした。
清らかに保たれていた。

ですが
自分が妾は妾でも
妻子ある高利貸しの妾
になっていたということ
に気づいて、
彼女は変わります。

まるで
それまで長い間はめられていた目隠しが
急に取れたように、
視界がひらけて
彼女は変わる。

お玉の
美しさ
着る物や持ち物
自由になるお金
子育てや家事に無縁な身分
それらを
人は
心の中で
羨みながら、
表面では
彼女を
金貸しの妾
汚れた女
と蔑みます。

そしてお玉は
明るく強くなる。
磨かれるように
美しさを増す。

花が
知らずに
我が身から
香りを漂わすように
彼女も
全身から
女らしさを発していましたが
豊かさを手に入れ
人に蔑まれ
彼女は
自身の発する色気を自覚するようになります。
じぶんの魅力に気づくのです。

物質的な豊かさを手に入れて
真心いっぽんではなくなり
人の心の裏も読むようになり
自分の気持ちは隠すのが巧くなり
多少すれて
彼女はますます綺麗になる。
彼女は様々な角度からものが見られるようになる。

彼女は
いい女
になっていくわけですが
その様子が
読んでいて気持ちがいいのです。

どうせ
男の作り出した
いい女
だと思いたくもなりますが
わたしはこのお玉という女性を
男にとって望ましいファンタジーとしての女
というよりも
むしろ
豊かさを手に入れて変わってゆくリアルな女
だと感じました。

この小説は
その変化の様子を
悪意なく書いてあると思います。

経済力をつけること・人に蔑まされることは
つまりそのまま
「社会参加」
でもあると思うのです。
お金があるから
物も買える
移動もできる
本を買ったり芝居を見たりもできます。
自由だし、見聞も広められる。
また、
人に蔑まれる立場であれば
いきおい
人の発言の裏も読むようになるし
人の立場とか身分とか性質にも敏感になります
色々なものの裏にある取引や利害関係にも目がいくようになり
自分が自分を取り巻くものの中で
どこにいて
どんなものとみなされているのか
それに敏くなること。
これが
「社会参加」
でなくてなんでしょう。
もしお玉が
同じように
その美しさと色気を
金で男に買われるのであったとしても
まともな職業の立派な男に
正妻として迎えられたのであれば
お玉はたしかに
美しくありもし
色っぽくありもしたでしょうが
この小説で遂げたような変化は
起こらなかったでしょう。
いつまでも
家に閉じこもった
女のままだったでしょう。

これは
封建的な世界(これは現代にも通じることです)において
経済力と
自分の立場を気づかされる経験が
女の視界をひらくことに
深く結びついている
という
真実
を描いた小説です。

そして
みずみずしい植物の成長をみることが
楽しいことであるように
そんな感じで
お玉が変わってゆくのを見るのは楽しいことで
『雁』を読むのは楽しかった。

結末や筋は
要らないほどでした。
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by writetoyou | 2006-12-08 22:32 | レビュー