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いつか書く手紙

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2007年 07月 18日

さよなら



毎日何かを思い出します。

一歳、噛んでいた白い敷布。

二歳、繰り返し水を汲んでは
わざとこぼして遊んでいた、赤い小さなバケツ。

そのバケツで田圃から掬った蛙の卵。
その卵の中の、まだ生まれてこないおたまじゃくしのもとになる何か生き物。
透明で冷たい水。その上を歩くアメンボ。
ゆれる若い苗。泥の中に棲むヒル。

三歳、父が庭につくってくれたブランコ。
座る部分は木でできていて、それが白いパンツにあたるときの、とげとげした感じ。
掴む綱のざらつき。と、その色。

四歳、執拗に摘みつづけたツユクサ、
その青い色。

幼稚園で小太鼓の片づけを、ずるをして、終わっていないのに終わったといったら
先生は「もう一度してきなさい」といったこと。

五歳、干上がりかけた水たまりの泥の、つるつるの輝き。

そういうすべてが
いまここにいるわたしの中に流れ込んでいて
その思い出を内包しながら、わたしは
あたりまえのように
ぱくぱくご飯を食べたり
ビールを喉に流し込んだり
靴下を履いたり
パンツを脱いだり
妹と喋ったり
お風呂に入ったり
髪をくしけずり
爪を切り
顔に白粉をはたき
頬紅を差し
鏡の前でにっと笑ってみせたり
友達に抱きついたり
ティシャツを被ったり
靴擦れを起こしたり
剥げかけたマニキュアを落としたり
お風呂を磨いたり
鼻をかんだり
枝豆を茹でたり
胡瓜を板擦りしたり
通勤電車に揺られたり
会社で腹を立てたり
飛行機に乗って外国へいったり
スフィンクスの前で記念写真を撮ったり
犬が死んで泣いたり
海で泳いだり
お風呂でのぼせたり
左手でお箸を使うのに挑戦してみたり
雨なのに傘を差さなかったり
本を読みすぎて目が見えにくくなったり
遠くの友達に手紙を書いたり
居間で寝てしまった妹を寝室まで運んだり
死んだおばあちゃんの日記を読んで涙が止められなかったり、している。

そんなことをしながら
わたしは、あの、というか
この、二歳の、赤いバケツを持って立っていたわたしから
ずうっと続いていて
同じひとりとして
ずっと生きている。

そのことはほんとうにふしぎで、信じられない。

わたしは、わたしにそういった昔の記憶があってよかったなと思う。
一日のうちにかならず
そんなことを思い出す瞬間があって
そのときわたしは、わたしの内側からわたしがぎゅって掴まれたような気持ちになる。
確認した、と思う。
わたしは気づいたらある日突然いまここにいたのじゃなくて、
あの日もあそこにいたのだと、わかる。

毎日いろんなものにさよならをしながら通り過ぎてゆく。
マグロが泳ぎつづけないと死んでしまうというのと、似ている気がする。
目に映る色とりどりの景色はすごい速さで流れて後ろへ飛んでいってしまうけれど、
でもなくなってしまうのではない。
もう二度と見られないかもしれないけれど
なかったのと同じこと、というのとは絶対に違う。

去りゆくすべてはなくなってしまうのではない。
その多くは二度と現れないかもしれないが
でも幾片かはいつかまた、たまさかに
水底からゆらゆらと浮かび上がる。
そのとき水面はきらきらと、光るようにみえる。

触れてきたすべてはわたしの中に流れ込んでいて
呼びもしないのに
ふしぎとふいにそれが蘇る、
そのことを「思い出す」と呼ぶ。

by writetoyou | 2007-07-18 01:05 | この頃


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